ペリリュー島全景、左側の小高い所が「水戸山」です。 |
1000m級の飛行場で、現在でも軽飛行機は利用できます。 |
1000人洞窟です。中は長く、枝分かれし、出口も多数あります。
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いたる所にある洞窟です。
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いたる所にある塹壕の跡。ちょっと見ても見つかりません。
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壕の内部。砲や鉄かぶとが放置されていた。
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中川大佐(隊長)が自決した洞窟です。
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中川大佐は軍旗を奉焼し「サクラサクラ」の決別の電報を打ち自決した。
(残った副隊長は隊長の首を持ち突撃した)
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2015年3月15日、2回目のペリリュー島訪問です。
先ず「慰霊塔=みたま」でご焼香です。
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慰霊塔は島の一般人のお墓のすみに、ひっそりと建てられています。
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島民のお墓
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「みたま」前には、6年前にはなかった「戦没日本人の碑」が日本国政府により設置されてました。
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戦友よ安らかに
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島の中心部に「ペリリュー神社」が建てられていた。
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ここでも全員焼香です。
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ペリリュー神社に太平洋艦隊司令長官ミニッツの
「諸国から訪れた旅人達よ、この島を守るために、日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、
玉砕したかを、伝えられよ!!」
と表示されていた。
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旧日本軍の建物も内部を改装され資料館になっていた。
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資料館外部
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資料館内部
米軍の資料は別に展示されていた。
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資料館の外には魚雷が錆びていた。
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転がっている爆弾
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守備隊本部跡
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守備隊本部跡
爆撃の跡に木が覆い繁っている。
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トイレ跡を見て、人が生活していたことを感じる。
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放置された戦車(日本軍)
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放置された米軍の戦車
(大きさも大きく、鉄板の厚さも厚い!)
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洞窟の中に設置された大砲
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零戦の残骸、ジャングルの中にあった。
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零戦のそばにはバナナがなっていた。
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島の頂上(水戸山)よりジャングル。その向こうに上陸が始まったオレンジビーチがある。
(関東軍の水戸連隊の人が多く、この山を水戸山と呼んでいた。)
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死闘が行われたオレンジビーチ
千体を超える死体と血で海は真っ赤に染まったそうである。
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水戸山の頂上にある機関銃の台座。
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