熟年旅行パートX―古来神話を訪ねて山陰の旅

平成26年6月 吉日 山 下 永 二
山陰旅行の話が出たのは、一昨年沖縄旅行が終わった時、山口孝一郎君から、次は 山陰地方特に隠岐の島へ行ってみたいという発言があって、隠岐の島まで含めれば3泊4日は掛るだろう。日数は取れるだろうか?経費は10万を超えるだろう、どんな経路を辿るのか等々、すったもんだしているうちに時期が過ぎ、昨年9月頃トラベル会社へ聞いてみたら、出雲地方は、出雲大社60周年遷宮のため、ホテルも航空機も満杯ですとのことで、昨年は諦めた。というわけで、本年5月、山口君の予てからの願いが叶えられ山陰旅行が実現しました。山陰といえば、出雲大社をメインに旅路が組み立てられているプランが多い。日本古来の神話を探訪しながら、山陰から、日本海岸沿いに 京都へ向かい、伊丹空港から羽田へ帰るルートがあった。
メンバーは、男子5名、女子4名の9名で熟年旅行パートXの出発となった。
(昨年の鹿児島旅行をHPに掲載しましたので、パートXとしました。)
  1. 旅 程 (5月22日〜24日 二泊三日)
    第一日羽田発出雲空港着出雲大社・参道散策玉造温泉松乃湯(泊)
    07:25 08:45 (自由昼食 150分)
    第二日玉造温泉発八重垣神社松江堀川遊覧船松江城又は武家屋敷等散策
    08:30 ( 80分) (60分) (30分)
    宍道湖畔足立美術館三朝温泉後楽(泊)
    (昼食 60分) (45分)
    第三日三朝温泉発白兎海岸鳥取砂丘・砂の美術館出石天橋立
    08:00 (45分) (昼食70分)
    天橋立展望台元伊勢籠神社伊丹空港発羽田着
    (40分) (15分)(120分)19:30 20:40
    今回の旅は全般的に高齢者向きに時程がゆったり組まれていて、よかったと皆さんも感じていたようです。
  2. 第一日
    ◎出雲大社
    出雲大社は、現地に来てみると、思ったより社殿は大きく又古来から神話伝説を受け継いてきた街は落ち着いていた。伊勢神宮とはまた違った雰囲気を感じながら散策した。
    伊勢神宮は、天照大御神を出雲大社は、その子天穂日命を祖神とし、同じ天皇という同祖でありながら、古来から陽と陰の二元対立した世界を築いてきた。伊勢の「太陽神」に対し、出雲は「火の神」という異なった価値観を持って祀ってきた。東と西、山陽と山陰というように対立した世界感である。
    ◎神殿の大きさ
    出雲大社は「何もかも逆である」と聞いたことがある。拝殿での参拝時の柏手は、「二礼四拍一礼」と違う、 また太さ3m,長さ8m、重さ1.5tもある巨大な注連縄の縒り方は、一般と正反対である。 十月は一般には、神無月と言うが、此処では、神様が集まるから「神在月」という。 又神殿は、現在の高さは八丈(24m)だが、平安時代は、その倍の十六丈(48m)もあったという。 更に古代ではその倍の三十二丈(96m)のスキーのジャンプ台のような社殿を造ったという。 今の新宿の高層ビルのような建物が古代に本当に造ることが出来たのだろうかと疑問に思った。 平成12年に直径3mもある三本の巨大な柱が発見され、建設会社大林組がプロジェクトチームを作って検証したところ、 動員延人員は、12万6千7百人で一日最大6千人が作業に従事するという正に関西空港並みの大工事であったと推定された。 凄い出雲王国だったろう。
    こんな神殿をこの田舎臭い出雲になぜ建てたのだろうか? 神話によると、葦原中国(日本列島)を造った大国主命は、天照大御神に「国譲り」をする時に、伊勢神宮より大きな社(やしろ)を造ることを条件として譲ったということになっている。
    元はと言えば、スサノオノミコトが天上から追放され、降臨した処になぜ出雲の地を選んだのかという謎から始まる。きっと何らかの古代歴史上のヒントがあるだろうと思うが、我々素人には解らない。
    ◎宮司の実家
    昼食後、少し時間のゆとりがあったので、付近を散策していると、門に大きな注連縄をつけた民家に千家の表札が目に入った。これは、きっと大社の宮司の実家だと直感してシャッターを切った。古代の昔から出雲大社の祭祀は、出雲国造(いずもこくそう)家が務めていて、南北朝時代に千家家と北島家に分れて大社の神事を携わって受け継いできた。
    帰宅して3日後の5月27日に、大社の禰宜(ねぎ) 千家家の長男国麿氏と高円宮家二女典子女王殿下が婚約したとニュースが流れた。これが旅行中に分かっていたら、もっと詳しく写真を撮っていたのにと悔しい思いがした。ニュースを聞いて、やっと伊勢系の天皇家と出雲系の千家が結ばれ仲直りして先祖に返ったと思った。
    ◎玉造温泉宿 ― 松乃湯
    この日は、玉造温泉の「松乃湯」に宿泊した。玉造は、三種の神器の一つの勾玉を造ったという伝説をもつ古い温泉である。 ツルツルした感じの女性好みの温泉だった。 最近の旅館は、東京オリンピックが決まったせいか、「お-も-て-な-し」のサービス精神が行き届いているようでとても快適な宿だった。 夕食にも朝食もシジミ汁があったが青森の十三湖のシジミと比し、小さくて本来の味が出てなかった。 ガイドによると現在の宍道湖のシジミ採りは、午前8時ごろから、11時までに制限せれているとのことだった。 今まで採りすぎて貝の成長が追いつかないのだろう。宍道湖のシジミは楽しみの一つだっただけに残念だった。
    ◎安来節踊り
    夕食後、安来節踊りショウを観ることにした。保存会の人が踊った後、メンバーから中村、湯地さんの二人が、自ら参加して踊りだした。この踊りは、腰の微妙な振り方が難しいと思ったが、年齢の割にはうまくこなして踊っていた。二人とも安来節踊修了書を貰った。チャレンジした二人の勇気と若さに、みんなは拍手喝采をした。
    その後、部屋に帰って、卑弥呼や邪馬台国論争など古代神話の勉強会をした。
  3. 第二日
    ◎八重垣神社
    最近の神社は、出雲大社もそうだったが、縁結びの神社が多いような気がする。
    出雲大社へお参りに行ってきましたと言うと、その歳でどんな縁を願ったかと返ってくる。少子高齢化の世相を考慮してとは思わないが、すぐ近くの八重垣神社も良縁祈願の神様だという。スサノオノミコトが降臨した時、稲田姫命を襲っていた八岐大蛇を退治した縁で結ばれたという神話の世界から伝わった話だ。又社殿内外に、夫婦椿、子宝椿、占い紙に硬貨を乗せて池に浮かべ沈む速さによって縁を呼ぶという御呪いなど良縁を強調した神社だった。そういえば、参拝に来ている人は、若い女性が割に多かった。
    ◎松江城周辺
    松江城は、城の周りは掘で囲まれ、外敵を守衛した江戸城を極く小さくしたような平城だった。外堀を活用して「堀川めぐり」という観光用の小舟で城を一周した。船頭さんは、55歳から70歳までの年齢制限がある仕事だそうで、女性も3人おり、各地から集まっているとのことだった。
    最初、松江に城が必要だったのかと思った。資料によると、関ヶ原の合戦後、出雲と隠岐両国の領地を与えられた堀尾吉晴氏が築城し、3代の後、京極氏が1代、次いで徳川直系の松平氏が10代居城して秀吉、家康天下人に仕えた。戦さをした形跡はない。中は、木造で、天守閣までは、急な木の階段を4〜5回昇るようになっていた。老侍だったら、いざ戦さという時、相当息切れするだろうなと思った。天守閣からは松江周辺が一望でき、外敵を監視するには容易であったろう。今は重要文化財に指定され美しい城だった。
    武家屋敷や小泉八雲邸記念館を見学する時間的余裕がなかったのは残念でした。
    ◎足立美術館
    足立美術館は、地元出身の事業家 足立全康氏が昭和45年に名園と名画を重ねて創設した。庭園も絵画の一つとして、自然と調和した日本庭園を創設し、白砂、黒松、赤松、苔、人工滝、池等風雅な日本庭園を見事に演出した景色に魅了された。その他横山大観始め近代日本画家の作品が約1500点ほど展示されていた。これも立派な町興しの事業だと思った。
    ◎三朝温泉 ― 後楽
    宿に着いて、40歳位のきれいな仲居さんが我々を案内してくれたので、三朝をどうして「みささ」と呼ぶのか名称の由来を聞いてみたが、分からないようだった。この地方では、「みあさ」というのを「みささ」と訛って呼ぶ習慣がついたのであろうと勝手に解釈した。ここはラジュウム温泉で、微量の放射線が含まれ身体の免疫力と自然治癒力が高まるという。放射線は今やガン治療に利用されて効果を発揮しているので、本当だろうと思った。サービスも玉造温泉と同様とてもよかった。一つだけ難を言えば、エレベーターが小さく、又部屋からエレベーターを降りてフロアーからまたエレベーターに乗って2Fの会食場へ行くという手間は改善したほうがよいと思った。
  4. 第三日
    ◎鳥取砂丘 ― 砂の美術館
    砂の美術館に入った瞬間、砂像のスケールの大きさと見事な彫刻に圧倒され、これは凄いと思った。大きな体育館内に、ロシアの歴史と芸術をテーマとして砂の彫刻を展示したものだが、係の人に聞いたところによると、茶圓勝彦という日本人がプロデューサーとなり、ロシア、アメリカ、イタリア、中国、カナダ、ブルガリア、オランダ、アイルランド、ポルトガルの各国19名の若き芸術家が約半年かけて、砂を固めて彫刻像を造りあげたという。これは、鳥取市が主催し平成18年からはじまり、年に一度テーマを変えて展示しているそうで、今回は七回目の展示だという。
    ◎砂丘散歩とラクダ乗り
    砂丘は、南北2.4km, 東西16km 高低90m もあり「すり鉢」の地形を形成した 馬の背まで歩くか、ラクダに乗るかの選択だった。多数は砂丘を歩いて日本海を眺めに行った。米光君と私は、ラクダ組となった。乗馬した経験はあったが、ラクダには一度乗ってみたいと思っていたので、ラクダのシンキチ君に乗ることになった。ラクダの寿命は、30年位でシンキチ君は、10歳の雄で人間でいえば30歳の青年だそうです。 歩くと馬と違って、一歩毎にガクン、ガクンと上下し必ずしも乗り心地は良くなかった。 ラクダは、馬か牛かと係に聞いたら、胃袋が2個以上あり牛科ですと言った。中東の砂漠地方では、ラクダを食べるそうで牛同様おいしいと聞いたことがある。
    鳥取県に入って、正直いってあまり期待していなかったが、自然と調和した美術館の創設や砂を利用したグローバルな芸術を展示し、観光事業に転換する街興しに敬服した。
    ◎天橋立
    3時間ほど高速を走り、天橋立に着いた。全長3.6km の湾口砂州の天橋立は、松島、宮島と並んで日本三景の一つで名勝として知られている。天上界にいたイザナギノミコトが天に通ずる梯子を造って立てたので天橋立と言われ、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったという神話が言い伝えられている。ケーブルに乗って笠松公園の展望台に登ると、逆さに見ると橋が天に通じるという諺を信じて、女性たちは、次々と「股のぞき」を始めた。女には、巫子的霊感能力が潜在していることがよくわかった。
    ◎元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)
    この付近は京都に近いせいもあって、神社が多い。元伊勢籠神社は、天橋立の根元にあり、天照大御神と豊受意大神が伊勢神宮に祀る前に祀られていたという。本殿は京都指定文化財に指定され、神殿前の狛犬、工芸品、出土品は国の重要文化財だと言う。
    ◎伊丹空港までの岐路
    日本海沿岸側の高速道は、新しい舗装だったので最近完通されたのだろう。無料だというが、東名や名神のように車がほとんど走っていないので、すいすいと予定より早めに到着すると思っていたら、伊丹に近くなって、事故が発生して長い渋滞が始まった。 伊丹発19:30に時計は18時を過ぎていた。間に合わなければ、もう一泊か、新幹線 かなど頭の中をよぎっていた。バスのドライバーは、少しでも渋滞時間を短縮するために、パークに入り、すぐパークを抜けて前方の渋滞に出る秘策をやってのけた。これで30分は短縮できたであろう。それからしばらくして事故現場を過ぎてやっと1時間前に到着したときは、ホットした。 新幹線の時代に、伊丹空港から羽田空港への航空路は多くの人が初めてだったろう。
  5. 旅の終わりに
    ◎氷川神社と出雲
    私の住む志木市には3つの氷川神社があり、毎年元旦にすぐ近くにある地元の氏神 氷川神社をお参りしている。埼玉県には、大宮の氷川神社を中心に162の氷川神社があり、東京では府中付近に59の氷川神社がありなぜかこの地方に片寄っている。
    古代に遡り、大和朝廷が浸透する前に出雲族が武蔵国に進入し、4世紀〜7世紀にかけて当時の祭政の中心だった一の宮(現在の大宮)に、「天穂日命」を祖としスサノオと大国主命の三祭神を祀る氷川神社を創設して、次々と出雲の祭祀圏が広まって神社が建てられていったという。
    氷川神社は、出雲の「斐伊川」にちなんで「氷川」の社号をつけたと伝えられている。そして八世紀初頭になって、大宝律令の施行により、武蔵国の中心が大宮から今の府中地域に移りこの付近から氷川神社が普及し増えたらしい。
    出雲は、日本海側の「越」(越前、中、後 現在の北陸地方)の国とも濃厚な関係を広めいったことは、古墳や宝飾類から分かっている。
    これらのことを考えると、当時出雲王国として存在していたであろうことが素人ながら分かってくる。出雲王国は、八世紀の大和朝廷によって、滅ぼされたのか、統合されていったのかは多くの歴史家が色々推理している。
    ◎代日本史のロマン
    今回ほど、いろんな歴史本や資料を読みながら、旅したことはなかった。我々の身近に神話が生きてその痕跡を自然に受け継いでいる現実を振り返ることが出来た。そこには謎が多く、パズルにはまっても神話のロマンを感じながら古代史を探求した充実感があった。これまでとは異質な旅だった。
  6. 写真集
     
      
    出雲国造家子孫 千家家の玄関の注連縄
     
      
    出雲大社前にて
     
      
    出雲大社拝殿 巨大な注連縄
     
      
    大国主命像
     
      
    ドジョウすくいに懸命な中村、湯地
     
      
    安来節踊り終了書を受領する湯地さん
     
      
    エカテリーナ二世とロマノフ王朝
     
      
    キリスト教の受容
     
      
    クレムリンとワシリー大聖堂
     
      
    ピヨートル大帝と西欧化
     
      
    コサックの力
     
      
    ロシアの文学 トルストイと作品「戦争と平和」
     
      
    米光君と乗背したラクダのシンキチ君 よろしく
     
      
    「股のぞき」する牛島さん
     
      
    「股のぞき」する中村さん
     
      
    「股のぞき」する湯地さん
     
      
    「股のぞき」準備する江頭さん
     
      
    天橋立を背に
     
     
     
     
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