記念艦「三笠」

石井俊雄
魚藍亭を出て15分ほど歩いて「三笠公園」に行き、そこにある記念艦「三笠」を見物した。
記念艦「三笠」は、ご存知のように日露戦争で活躍した海軍の軍艦だ。
甲板から下の構造物は往時のオリジナルで、甲板から上の構造物は昭和36年に復元したものだそうだ。
 
「三笠公園」の入り口から、記念艦「三笠」を背景にした司令官東郷平八郎大将の像。
 
 
タイタニックの主題歌が聴こえてくるようだね。
 
 
 
 
主砲と外部艦橋。
写っているのは槙原(陽)さん。
 
 
槙原君と小生。
遊覧船の中で囲碁の話を聞いた。「今でもやってますか?」との問いに、 「やってる」とのこと。 相手は、人やパンダネットもさることながら、囲碁ソフトで強いのがあるがそれとやってるとのこと。 結構強くて、下手するとやられるとのことだった。囲碁ソフトも強くなったものだ。 「石井君なら、4子でどっこい」というとこだろうとのこと。 ソフト名も聞いたけど忘れてしまった。実は、最近そんなの多いのだ。
将棋ソフト(ボンクラーズ)が米長永世棋聖を破ったことがあったが、将棋では相当強いのだ。 なぜなら、自由度を表す升目の数が9X9で、囲碁の19X19と比べて段違いに少ないからだ。 でも、囲碁でも時間の問題だろう。槙原君と戦えるというのだから。
小生は、囲碁ソフトに関しては対戦よりそのアルゴリズムに興味がある。 でも、門外不出の企業秘密だろう。
 
記念艦の中に飾られていた写真。
「連合艦隊司令部」という見出しがあり、前列中央「司令官東郷平八郎大将」、向かってその左「参謀長加藤友三郎少将」、 前列右端「参謀秋山真之中佐」などとあった。
また、艦内のビデオ室では、日本海海戦の説明をしていた。 それによると、その海戦のポイントは、如何にしてバルチック艦隊を発見・捕捉するかであったそうだ。 その件は、ネットのウイキペディアから抜粋すると次のようになる。
1905年(明治38年)5月14日、バルチック艦隊はカムラン湾を出港した。連合艦隊はバルチック艦隊が5月19日にバシー海峡を通過したという情報を得たが、 以降は所在がつかめなくなった。このときバルチック艦隊は長時間の演習や石炭の積み込み、さらには1隻の機関不調に時間を取られていたのだが、 連合艦隊ではバルチック艦隊が太平洋から北海道へ向かった可能性も想定せざるを得なくなり、次第に焦り始めていた。
24日に至り、東郷は大本営に対して北海道への移動をほのめかす電報を送っている。 大本営は慎重を期す旨の返電を送り、東郷は5月26日正午までに移動すると返電を重ねた。
26日午前零時過ぎ、バルチック艦隊随伴の石炭運搬船6隻が上海に25日夕方に入港したという情報が大本営に入電した。 運搬船を離脱させたのは、航行距離の長くなる太平洋ルートを通らないことの証明でもあった。 この情報によって連合艦隊は落ち着きを取り戻し、対馬海峡でバルチック艦隊の到着を待った。 もし運搬船の上海入港が1日遅れていたら、東郷は艦隊を北海道に向けていたかもしれない。
1905年(明治38年)5月27日(海戦1日目)午前2時45分、九州西方海域203地点付近にて、 艦長成川揆大佐指揮の連合艦隊特務艦隊仮装巡洋艦「信濃丸」が汽船(バルチック艦隊の病院船「オリョール」であった)の灯火を夜の海上に視認した。 接近したところ、4時45分突如無灯火航行中の艦影・煤煙を多数視認し、此を無線電信で通報せんとした。「敵艦見ユ」である。
「信濃丸」が夜間に病院船「オリョール」を発見できたのは、バルチック艦隊で1艦だけ「オリョール」が灯火管制を守っていなかったためであった。
この後、甲板に出たところで、海上自衛隊のOBがボランティアでガイドをやっておられたが、 それによると、東郷平八郎大将は身長が152.5cmだったそうだ。でも、司令官としては大業をなされたのだから大きく見える。 でも、それでも人間、どこで待てば敵艦隊を捕捉できるか迷いに迷ったことのようだ。でも、強運の人であったことは間違いない。人知を超えた才能だ。
でも、連合艦隊司令部の中でも、島村速雄少将という方は、「俺(がバルチック艦隊司令官)なら対馬海峡だ」と言い、頑として北海道行きに反対されたとか。 こういう実戦家的センス、大事ではないだろうか。 この方は土佐の出身。詳しく知りたい方はここをクリックして下さい。 そのウイキペディアでは、「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、 天性のひろやかな度量のある人物。」などと評されている。
一方、参謀秋山真之中佐は北海道説を採ったそうだ。思うに秀才派かな?聊か神経が細かったかも知れない。 司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、大分褒めているが、ここ一番の大勝負ではどうだったかな〜という気がする。
 
 
時刻は3時半ころ、見終えたところで写真を撮りました。
 
上の写真に末安君と小生が加わってます。
この後、20分ほど歩いてJR横須賀駅に行き、そこから16:10発の電車で帰途につきました。 横浜駅などで別れたりしながら、17:24分、時間通り東京駅で降りました。 東京駅は、ラッシュの始まりで混んでました。最後に分かれた仲間たちは、その流れの中にアッという間にのみ込まれ夫々の日常へと戻っていかれました。 私も私の日常へと。・・・心の中で、「バイバイ、達者でな!」と呟きながら。
 
 
 
 
今回の旅は、そも今年の6月21日(金)NHKでやってた軍港めぐりの番組を見たことに始る。
それで、翌日に皆さん(佐高八期会、附中同窓会)あてにお誘いのメールを打ちました。
何しろ、好みが分らないので、知ってるメルアド全部に打ちました。鉄砲玉は多い方がいいと思ってね。 その結果、今日となり、雨模様の中でしたが、あまり降られることもなくいい旅が出来たと思います。
参加者から、また考えろ!と言われてしまった。何かアイディアあったら教えてください。 見つかったら、また行きましょう。
今のところ頭にあるのは、琵琶湖一周サイクリングの旅。2〜3泊して行ってみたい。 でもこれは万人向けではないよね。体力が要るから。
 
 
最後に、素敵な曲を聴いてお別れしましょう。あまり軍艦とか、関係ないが素敵なウエスタンの曲です。 昔から、かすかにメロディだけは聴いていたけど、曲名が分らなくて、よく聴けなかった曲ですが、最近、音源を見つけました。 何か、ほのぼのとするような曲ですよ。 諸君も、昔のこと思い出すかも知れませんね。 歌ってる歌手は、ジム・リーブス、いい声しています。では、 アイ・ラブ・ユー・ビコーズです。 最初に、コマーシャルが入ることがあるけど、我慢して下さい。 それから、英語でテレビ番組司会者の長いイントロがありますが、これも我慢してください。我慢すればいい曲聴けるでしょう。
 
 
 
 
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  • アップデート:25/9/28    [Return]