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豊鹿島神社の社殿です。近在の人が結構来られてました。
この神社は、東大和市芋窪というところにありますが、地元の方たちの氏神さんのような存在のようで、遠くから参拝に来られる大きな神社ではないようです。
でも、地元にとっては昔からの神様で、地元に鎮座し、親しまれてきたようです。
そこで、ついでながら、ネットで東大和市について歴史を調べてみました。
その結果、この地は、江戸末期辺りから開発が進んだ比較的新しい土地のようです。
幕藩体制の中では幕府直轄地でした。
幕府直轄地では、代官が治世を仕切りましたが、実際、直接、民衆に接したのは、庄屋などの大百姓たちで、その分、民衆の意向が治世に反映され易かったことが想像できます。
即ち、民は豊だったようで、神社・仏閣が栄えたようです。この神社が位置する旧青梅街道沿いには、あちこちに立派なお寺を見かけます。
豊鹿島神社もその例に漏れず立派な社殿と見受けました。
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参拝は20分ほどで済みましたので、この神社から歩いて10分ほどのところにある多摩湖(村山貯水池のこと)を見にいきました。
神社から20〜30mほども登って、今度は多摩湖へ向けて下りです。その階段途中で撮りました。背景の水面は多摩湖です。
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東京都水道局が立てた「貯水池案内図」が立ってました。
多摩湖を南北に分断する堰堤上の「現在地」の辺りです。
この貯水池から、東村山浄水場へ流れ、そこから、境浄水場へと流れます。
昔、新宿に大きな浄水場がありましたが、その地は今、新宿副都心と変わっています。
東村山浄水場から境浄水場(武蔵野市)に水道を敷いた地面の上に作られたのが今私が愛用する「多摩湖自転車道」です。
境浄水場からその新宿浄水場までの水道管を敷いたところに作られた道路が、
水道道路(井の頭通りのことです)と呼ばれていました。今も流れているはず。
東京都民を潤すもう一つの水道が、小河内ダム(奥多摩湖の)からの水系があります。
この水系は、JR青梅線の小作辺りにある「小作取水堰」や、羽村にある羽村取水堰から、多摩湖にむけ送水しています。
更に、もう一つの水系が、八ッ場ダムなど群馬県を水源にした利根川水系があるようですが、そちらの方は、よく知りません。
またの機会か、ご存知の向きは、ご教示ください。
兎に角、東京都水道局ってとてつもない大組織のようです。
それはそうでしょう、一千万都民と近隣を含めウン千万の人たちに水道を供給しているのだから。
普段は当たり前過ぎて有難みを感じることもありませんが、その裏には、大きな努力があることが想像できる初詣でした。
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その堰堤上で撮りました。
黒メガネをかけてるのは目の保護のためです。
医者に言われて仕方なくかけてます。
似合わないのは承知で。按摩の様だと言われそうだけど。
右奥に見えるのは「西部遊園」の観覧車です。ここから約2kmほどのところです。
地元の人に聞いたら、この辺り、桜の頃も綺麗だとか。・・・その内、考えなければと思ってます。
もう一つ書いておきますが、この多摩湖と狭山湖を一周するサイクリング道が完備しています。
私は乗ったことがないが、地元の人がそう言ってました。
その内、行ってみるつもりです。アシスト車で。
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