h30_花見とクルーズ

H30/4/4
石井ト
標記花見に参加しましたので、主に写真でご報告いたします。
東京は広くて日常的には自分の住む地域を動くだけで、他の地域に行くことは稀。 このままでは、素敵なものを見損なってしまうと、今春は、江戸時代の下町は人形町界隈を散策し、 併せて日本橋川、神田川、隅田川などの船中からの東京風景を探訪してまいりました。
中々よかったですよ。花は聊か散ってましたが、未だその残照を見ることができたし、クルージングも日本橋川、神田川は初体験でしたので、 江戸時代から今日に至る営々と築き上げてきたインフラの積み重ねに感動して参りました。 写真撮りましたので、良かったらご覧ください。 東京は1日にしてならずでっすね。
中央区が運営するシティバスの一種「江戸バス」の停留所です。名前は「東京駅八重洲北口」です。場所は鉄鋼ビルの前です。
その江戸バスに乗って、浜町は明治座の前にある「浜町駅」まで行きます。
20分間隔で運行されてます。運賃は100円です。
江戸バスの車中のショットです。ミニバスだから狭いです。
「江戸バス」の「浜町駅」停留所に降りて直ぐ撮りました。後ろに写ってるのが載ってきたバスです。小さいでしょう!
皆さん、張り切って元気そう。
浜町公園にて撮影。
この写真の中央奥に桜の木が写ってますが、その先は、隅田川が左の方向から右の方向へと流れてます。 後半のクルージングでは、その隅田川をクルーズします。その時は、上流方向、即ち左側から右側へとクルーズします。
浜町公園にて撮影。
この後、公園内にある中央区立スポーツセンターの1階にある、「グリル浜町」でランチしました。 味は良かったですよ。何より店が清潔そうだったのがよかったです。それに、時間も早くて、11時過ぎに入りましたので、一番客でした。 食事していたら段々客が入ってきて、賑やかになりましたが、それでも、ゆっくり食事と談笑ができました。
ドリンクバーは、定食にプラス190円でできましたが、紅茶はイマイチでした。 コーヒーは飲まなかったので不明。 外に甘いジュースなどもありましたが、腹が一杯になるから飲みませんでした。紅茶が拙いのは残念でした。
K君は命の水を楽しんでおられました。
昼食を済ませ、浜町公園を出ると、出た方向にまっすぐ延びた甘酒横丁を散策しました。
その途中にある、志乃田寿司本舗前で、稲荷ずしを買いましたが、そこはパッキングに結構時間が掛かるので、できるまでの間に撮りました。
同じく、志乃田寿司本舗前でのショットです。
甘酒横丁では、「人形焼」とか「鯛焼き」とかを買い、都営地下鉄浅草線で、 1駅乗って日本橋駅へ行き、そこから歩いて「神田川巡りと花見クルーズ」の「日本橋船着場」へ向かうところ。
都会の嫌味は、徒歩で移動するとき、上下動があること。歳とると堪えます。 今回はラッキーでした。
「日本橋船着場」にて桟橋を降りるところ。
これが今回乗る船です。船名は「エスエスNANo2」です。屋根はありません。
ここで少し今回のクルージングの航程について説明します。
今回のクルージングは、大きくは三本の川を航行します。 それで、その三本の川について記します。
  1. 先ず、神田川は、ウイキペディアによると、 「東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。 流路延長24.6km、流域面積105.0km2と、東京都内における中小河川としては最大規模で、 都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠(暗渠の反対で開空の川の意)であることは極めて稀である。 かつては平川と呼ばれ、現在の飯田橋付近から現在の日本橋川を通って日比谷入江に流れていたが、江戸幕府による度重なる普請と瀬替えが行われ、 現在の流路となった。」 とありました。
  2. 次に、隅田川は、ご存じのことと思いますので、講釈はしません。
  3. 最後に、日本橋川は、ウイキペディアによると、 「東京都千代田区と文京区の境界にある小石川橋で神田川から分流し南東へ流れ、中央区の永代橋付近で隅田川に合流する。 日本橋川流域は水運の便がよかったことから、江戸から近代に至るまで経済・運輸・文化の中心として栄えた。 周辺には河岸が点在し、全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わった。 上流から鎌倉河岸、裏河岸、西河岸、魚河岸、四日市河岸、末広河岸、兜河岸、鎧河岸、茅場河岸、北新堀河岸、南新堀河岸があった。 現在でも周辺に小網町・小舟町・堀留町など当時を思わせる地名が残っている。」 とありました。
以上で三本の川についての説明は終わりますが、今回のクルージングは、 先ず、「日本橋船着場」で船に乗り、日本橋川を上流方向に進みます。 進んで行くと三崎橋を過ぎた地点で、小石川橋辺りの神田川に出会い、そこで神田川に入って神田川を川下方向に進みます。 進んでいくと、柳橋をくぐったところで隅田川に入り、隅田川を川下方向に進んで、大横河に立ち寄りますが、 隅田川河口近くに掛かる佃大橋をくぐった辺りで、亀島川に入り、霊岸橋過ぎたところで、日本橋川に戻り、 遡上して出発点の「日本橋船着場」に至るという所要時間100分のクルージングです。
東京に住んでいても知らないことが沢山ありますが、 特に江戸時代の名残につて知ることは、今までは「銭形平次捕物帳」や「鬼平犯科帳」、流行歌などでしか知らなかった地名などが実物として見えることから、 懐かしくもあり、好奇心も満たされて、一時、楽しい時間を過ごせると思いました。それが今回のイベントのエッセンスと言える考えです。
愈々出発。撮影時刻は、14:18:24です。航行する川は「日本橋川」。進行方向は西向きですが途中から北に進み、三崎橋を過ぎた地点で神田川に突き当ります。
写ってる橋は日本橋。この橋は中央通りに架っていて、右に行くと直ぐ秋葉原、左に行くと銀座通りとなります。写ってる人はガイドさん。 一番上に覆いかぶさってるのは首都高速5号池袋線です。鬱陶しいよね!
江戸城常盤橋門跡の石垣が残っています。
撮影時刻14:25:22
一ツ橋辺りの外堀の石垣に工事した大名の刻印が残っています。
この画面の刻印が分かるように拡大した写真を次に掲げます。
上の写真の拡大版です。
矢印の刻印が写ってますが、この刻印は毛利家のもの(中央、下から2段目の石)だそうです。三本の矢の由来かも。
船の進方向を撮っています。
手前の橋はJR中央線の鉄橋です。少し右方向に行くとJRの「水道橋駅」です。 JR中央線の鉄橋の先の橋は三崎橋。更にその三崎橋の先で左から右に流れる神田川に突き当ります。
神田川に出たところ。船は右に旋回して神田川の流れに乗ることになりますが、この写真ではまだ旋回してない状態で、船の左舷方向を撮りました。
奥に写ってるのは神田川。神田川の上流方向を撮っています。水はきれいですよ。泳げるくらいに。 小生が学生のころは神田川は汚くて、水面にいろんなものが浮いたまま、ゆるゆると流れていたのを思いだします。 もっと早く流れりゃいいのにとか思ったことでした。そうすると奇麗になるかなと思って。今は奇麗でよかったです。 あのままではね、防毒マスクが要ったことでしょうから。 撮影時刻14:44:44.
一旦ここで切ます。この後、クルージングの写真を掲載予定です。
少し時間下さい。
ここから後半ですが、写真はクルージングの風景だけです。終点の近くまでは元気でしたが、最後辺りでは疲れてしまい、不覚にも居眠りしてしまいました。 そんなことでしたが良かったらご覧ください。
神田川に入ってすぐ、後楽橋です。この橋を渡り左方向に行けば後楽園球場があります。
撮影時刻14:45:46
後楽橋をくぐって直ぐの情景。ビルの谷間ですね。
この辺りは、次の次の写真で詳しく説明しますが、江戸時代初期においては、 神田山(向かって右側にピークがあった)から本郷台地(向かって左側に掛けた台地)に伸びた左下がりの山裾だったが、 その山裾を削って神田川の流路を付け替える工事が行われた。 1620年(元和6年)、秀忠の命を受け、仙台藩祖・伊達政宗 がこの辺りの瀬替え工事を担当した。 だから、両岸を見比べると、左岸が右岸より低くなっているのが分かるだろうと、ガイドの説明が流れた。
見たら確かに岸壁面の高さはさほど目立たないが、ビルの1階部分の高さ位置が、ワンフロアー分位、左岸が低いのがみてとれました。 撮影時刻14:46:38
後楽園橋をくぐって300m余り行くと、水道橋がありますが、その橋をくぐって直ぐの情景。 右奥に写っているのは駿河台です。駿台予備校の看板がかかってます。
撮影時刻14:46:38
前の写真より更に130mほど進んだところです。右の崖淵の電車は中央線の電車。登り方向、即ち写真奥の方向に進んでます。左岸の森の上は外堀通りが通っています。 この先の右カーブを過ぎると「お茶ノ水駅」です。
神田川についてウイキペディアによると、天下普請による瀬替え(川筋の付け替えのこと)として、 「二代将軍・徳川秀忠の時代には、旧・平川下流域の洪水対策と外濠機能の強化として、 神田山(本郷台地)に当って南流していた流路を東に付け替える工事が行われた。 1620年(元和6年)、秀忠の命を受け、仙台藩祖・伊達政宗が現在の飯田橋駅近くの牛込橋付近から秋葉原駅近くの和泉橋までの開削を担当した。 小石川見附門(現在の三崎橋付近)から東に神田山を切り通して湯島台と駿河台とに分け、現在の御茶の水に人工の谷(茗渓)を開削した。 このため、この区間は特に「仙台堀」あるいは「伊達堀」とも呼ばれる」とあります。 詳しくはここをクリックしてください
飯田橋駅近くの牛込橋付近から秋葉原駅近くの和泉橋までというのは3km弱あるので仙台藩の負担は大変だったことでしょう。 何しろ人力だけで山を削り川が流れるようにするのだから。でも、仙台藩といえば、貞山運河が有名。 ウイキペディアによると、「貞山運河は、仙台湾の海岸線約130kmの内、約半分の約60kmに及ぶ日本最長の運河系である」 とあります。開削技術は自藩のためにも役立ったわけです。なお、貞山とは伊達政宗の諡です。 撮影時刻14:50:06
前の写真より更に500mほど進んだところです。右の崖淵には「お茶ノ水駅」がありますが、川淵が工事中で撮りませんでした。 「御茶ノ水駅」を過ぎるとすぐ東京メトロ丸の内線の鉄橋がありますが、今、その鉄橋を左から荻窪方面に進む電車が橋を渡ろうとするところです。 右からは、池袋行きが渡川中。
撮影時刻14:54:00
神田川に架かるJR総武線の鉄橋です。奥に写ってる橋は「昌平橋」。渡って左は秋葉原の電気街です。
撮影時刻14:55:36
「昌平橋」の下から神田川に架かる「万世橋」を見ています。右に写ってるのは嘗ての鉄道博物館のあった煉瓦造りの建物です。
撮影時刻14:56:28
「万世橋」から850m程下ったところで対向の遊覧船に出会いました。場所は「佐衛門橋」の少し手前でした。
撮影時刻15:02:48
「佐衛門橋」をくぐると浅草橋地区となります。この辺りは江戸時代から伝統の船宿や屋形船の溜まり場で、今でも昔ながらの老舗店が8軒程あるとの説明でした。 写ってる橋は「浅草橋」。そしてその先に小さく写ってる橋が「柳橋」です。「柳橋」をくぐるとすぐ隅田川となります。
撮影時刻15:05:04
「柳橋」をくぐるとすぐ隅田川に出ました。神田川はここ柳橋で隅田川にそそぐのです。 隅田川に出たところで丁度、平成26年の4月に有志で乗った「ひみこ号」に出会いました。 彼女は隅田川を上流方向に進んでました。我々は下ります。 平成26年の時は槇原君も来ておられたのを思い出しました。
今日の東京は夏日となり、暑いほどでしたが、隅田川に出ると、風が強く、肌寒くなりました。 それで、脱いでいたセーターとカーデガンを着込みました。クルージングは寒さ対策が欠かせません。撮影時刻15:08:10
「ひみこ号」とスカイツリーです。
撮影時刻15:08:40
竪川の川口に建つ「竪川水門」です。
クルージング向きの音楽にリンク張っておきます。最近、グレン・グールドのバッハに嵌りかけているので、グレングールドピアノの バッハ作曲ピアノ協奏曲7番です。 ここをクリックしてください。 春らしい曲ですよね。温んだ川の舟遊びって感じでしょう!!
撮影時刻15:11:44
隅田川から見た「浜町公園」です。先ほどランチした「グリル浜町」のある中央区立総合スポーツセンターが写っています。
撮影時刻15:14:06
小名木川の川口です。橋は「萬年橋」です。
撮影時刻15:18:58
「隅田川大橋」の下から見た「永代橋」です。前回(h26年)のとき、この橋を向かって右から左へと徒歩で歩きました。
撮影時刻15:21:52
「清洲橋」とスカイツリーと奇麗にカールした髪が素晴らしい女性の頭部です。
撮影時刻15:22:50
大横川はお花見スポットです。去年花見しました。懐かしい!
撮影時刻15:36:50
隅田川の右岸に亀島川の川口がありますが、その川口の角に立つ潮位観測装置です。 今、右に写ってる隅田川から、左に写ってる亀島川に入ろうと右折したところです。 背景のビルが建つ場所は、霊岸島。
撮影時刻15:50:56
亀島川に架る「新亀島橋」です。その先に写ってるのは永代通りに架る「霊岸橋」です。 「霊岸橋」の先100mほど船を進めると日本橋川に出ますので、そこを左折して6分ほど進むと、出発した、「日本橋船着場」に至ります。
小生、この後しばらくして、疲れが出たのかつい居眠りしてしまいました。写真どころではなく、着いた場面は撮りそこないました。 最近、いつの間にかフット居眠りすることが多い。テレビ見ててもです。
以上、クルージングが終わりました。この船の速度を計算してみたら、秒速2.2mほど、と出ました。時速にして8km程ということになります。 自転車程度の速度でしたが、隅田川では川風と海風のミックスした風が吹いて寒く感じました。 でも珍しいものを見て楽しかったです。
今後、行ってみようと思われる方は、予約をとって、席は指定席ではなく全部自由席ですから、 少し早めに「日本橋船着場」に行き、乗船手続きすれば、若い乗船番号をゲットできます。乗るときはその番号順だから、船の舳先の席をゲットできます。 そしたら、舳先という一等席でのクルージングが楽しめるでしょう。 写真撮っても、前の人の帽子が写ったりしない写真が撮れますよ。・・・そんなことも、一度やってみないと分からない事なので、書いておきます。 撮影時刻15:55:50
「日本橋船着場」に戻ったのは午後4時過ぎ。 その後、「日本橋榮太樓」の「雪月花」でお茶して終わりにしました。
兎に角疲れました。家に帰り着くまでは何とかシャントしていましたが、翌日は駄目。もう歳だということを思い知りました。 後5日で八十路に踏み入りますが頑張ります。
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