院展見学記

H30/9/11
石井ト
数日前、同期の永渕君から、第103回院展の招待状をもらった。
院展とは、横山大観が始めた由緒ある展覧会くらいの遠い認識で、見学したことはなかった。 だが、幸いにも、永渕君のご好意で、見学の機会を得た。
その見学記です。良かったらご覧ください。 但し、作品そのものは写真に撮れないので、題名だけの報告になり、写真は、院展の中ではなく外で写したものになります。 全陶展は写真OKだからいいが、院展は訊いたら駄目とのことでした。
上野にある東京都美術館で開催中の幾つかの展覧会の中の一つが「院展」で、この写真はその入口の写真です。そこで、チケットを見せて、中に入ります。
入るとき、「出品目録」なるペーパーを渡されます。それに拠ると、応募点数502、入選点数266、同人出品数34、出品総点数300、とあります。
少し感想を書きます。
300点すべてをザーット見ました。 その中で、いいと思ったのは、増田淑子氏の「大地」。すっくと大地に立つ少女を描いてあり、目に力が集中した力強い作品に見えました。 見飽きない感じがしました。
それから、総理大臣賞受賞の「風の遠国」、文科大臣賞受賞の「宿命」、流石にいい作品だと思いました。 それから、大観賞受賞の「響」、「天女像の御下(日本橋にて)」も大変良かったです。
「天女像の御下(日本橋にて)」は日本橋三越本店に飾られている「天女像(まごころ)」を描いたもので、見飽きない感じの作品でした。
小生思うに、良い絵とは、「見飽きない」ということではないかと思います。・・・別の言葉でいえば、「見る度に新しい」でしょうか。 となると、静止した画に、見る度新しさを付与するのが画家の腕と言えるとなります。・・・となると、テクニックは関係ないという可能性が出てきます。
絵はある意味フェイク(虚偽)。何故なら、無いものを在るかのように描くし、その逆もあるから。 また、在るものはミクロの集合体であるのに、人間にはマクロしか見えない。だからマクロを描くことはミクロを描いてないという意味でフェイクなのだと思う。 だから、上手に描くと言っても、即ちいくらテクニックを磨いても限界があるはずということになる。 となると、最後に残るのは、感性。これを描けてるかどうかで見飽きないという絵の魅力が決まってくるのだと思う。
では、見飽きないとはどうしたら実現できるのだろうか。私の考えでは、バランスだと思う。若し、その絵に描いてあるものがバランスが悪い、 即ち、例えば人間が描いてあるとして、その人間が倒れそうなら、それは、観る人を不安にするはず。何故なら、人が倒れそうなら、結果として起こる悲劇が頭に浮かぶからだ。 そんな不安を抱かせる絵は、見飽きないどころか見たくないと感じられるはず。 従って、見飽きない絵とはバランスがとれていて、観る人を不安にさせない絵ということになる。 このように考えると、仮令ピカソの抽象画だろうと、安心して観ていられる名画となるのである。 写真も同じ、彫刻も、建築物も、機械も、飛行機も、女性も、etcである。
それから、バランスというからには、バランスの中心が所要となる。絵の中心、即ち焦点だ。例えば、「大地」では、大地にスックと立つ少女の目つきが焦点となる。 更に、「天女像の御下(日本橋にて)」では、天女像の銘板がハイライトされ焦点となっている。 絵を見た瞬間、どこを見たらいいのというように、絵全体を目が彷徨うようでは、見たくなくなるというものだ。
斯くて、見飽きないとは、見るべきところがはっきりと主張され、そこを焦点として絵全体がバランスしている、ということだろう。
こんな心理的価値観を以って形や色に奉じればばいい絵になるはず。特にテクニックは不要だろう。 例示すればルソーの絵や山下清の絵など枚挙にいとまがない。 院展を観てテクニックに走り過ぎてるようだと感じた。絵が死んでるようだった。まるで教科書的。没個性ともいう。 何とはなしに感じたことは、皆、平山郁夫的ということ。
上野公園を出て広小路へと出てきました。
その広い道を向かい側へと横断しましたが、その途中の写真です。ちょっと立ち止まって銀座方面を撮ったもの。
この道をずーっとまっすぐ行けば、30分ほどで銀座です。今日は涼しく気温も30度以下でしたから、歩いてもいいが車の排気ガスがあるので、中々実行できません。 体力的には自信ありです。杖があればなお可(よし)ですよ。
実は、数日前、サイクリングで、青梅から下高井戸(杉並区)にあるリクシルの展示場まで往復(約80km)したら、翌日、腰が痛くなって心配しました。 だが、今は大丈夫。どうやら筋肉痛だったようです。
展示場では、フェンスの見本を見ました。色決めが目的です。・・・結果、やっと決心できました。 歳はとっても、こんな野暮用で、中々楽できません。 それに、まだ、他の難問を抱えてますし・・・。人間の悩みって結局のところ決心(選択)の問題に帰すようです。 気の小さい私には選択問題は脅威なのです。
同じポジションから180度回転して上野方面を撮ったもの。
左に見えている緑のところが上野公園の入り口辺りです。
横断し終わったら直ぐ「みはし」があります。
家内に誘われ入りました。勇んで入ろうとしてるのが家内です。「みはし」は老舗の甘味処です。 あんみつ(550円)を食べましたが美味でしたよ。腹いっぱいになったけど。 上野は昔からの下町。庶民の街で、物価も安いようです。これが銀座辺りになると、1000円近くになるようです。そんなところでは食べないので分かりませんが。
最後になったけど、東京都美術館の記念品コーナーで、気に入った手提げを見つけました。値段は3000円(税別)ですが、これが高いか安いかは私には分かりません。 でも、ブランド品ではこうはならないのかな?と思います。
家内も気に入って、近く上京してくる幼馴染の友人にプレゼントするとて買い求めていました。 店の話では、全部売れてこれが最後の一つだとのことでした。
私はあまり記念品には興味ないが、普段使いの洒落たものはいい記念になると思います。 もらった友人も喜ぶだろうと思うといい気分でした。
最後になったけど、この院展、9月17日(月)までやってるので、行ってみたらいいと思います。 入場料は、70歳以上は700円です。東京都美術館の2階にある「上野精養軒」で食事して、最後は「みはし」で〆るというコースで楽しめると思います。
更に、記念品コーナーで、気に入った日用品が見つかればラッキーというものでしょう。行った甲斐があったということになりますから。でも、 言っておきますが、上の手提げ以外のものはろくでもないものばかりでしたよ。もう少し気の利いた商品を揃えたらいいのにというほどでした。 例えば、ティーポットなど、銀製の奴。・・・だが、あったとしても自分で使うでしょう。・・・買えばだが。
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。 メールはHP管理者へメールしてください。

<コメント欄>   当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。