一式双発高等練習機一般公開見学記

2022/10/29
石井ト
皆さん如何お過ごしですか。
昨日の10月28日(金)、昭和18年に十和田湖に沈んだ旧陸軍の一式双発高等練習機の引き上げ後の姿を見にいきました。、
場所は、立川駅北口より徒歩15分の所にある「立飛アルエステート 南地区5号棟」という厳めしい名前のところにある展示会場。
佐高八期会HPで募ったけど、参加者は私一人でした。展示品は沈没後69年振りに引き上げられた機体でしたので、ボロボロ。 あんまり見栄えのするものではありませんでしたが、結構人が来てました。
その中から数葉の写真を掲載します。 良かったら、ご覧ください。
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重要航空遺産の認定証と模型の正面図です。背後にある白いのが機体です。
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機体の正面図、右翼と右翼にエンジンが写ってます。
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コックピットのイラストです。思ったより計器が多い。79年も前なのに。
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左翼のエンジンです。少しクリーニングしたと説明員が云ってました。右翼のエンジンもあったけど、これは引き上げ時のままの姿で展示されてました。
数えたら9気筒あったので、説明の若い人に「凄いね!」と言ったら、「これは、そんな馬力のあるエンジンではなく、スピードもそんなに速くはなく、 例えば、零戦などスピードの速い戦闘機のエンジンは、この9気筒のを2段重ねに並べてスピードを出した」と答え、更に「メッサーシュミットは、 もっと重ねていたのもある。」とのこと。いやはや、恐れ入りましたの世界でした。
余談ながら、ドイツ空軍のBf 109(Messerschmitt Bf 109 )は、第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機だが、 機首下部に7.92mm機関銃を装備し、しかも水冷エンジンだったので、さぞやエンジンルームはデリケートな空間だったろうと思われる。
それに対し、日本は空冷エンジンが主力で、エンジン技術は割合簡単だったようだ。水冷エンジンのBf 109をコピーしようとして作ったのが、陸軍三式戦闘機「飛燕」だが、 この飛行機はエンジントラブルが多発したと聞いている。エンジン製造が遅れ機体だけが相当数滞留したので、陸軍はその機体に空冷エンジンを換装して五式戦闘機とした。 結果は予想外の高性能だったそうだ。
大戦を通し、Bf 109は3万機作られ、零戦は1万機。連合国側は米軍機で20万機以上と聞く。
なお、第二次世界大戦で一番多く作られた飛行機は、ソビエトロシアのイリューシンIL-2型攻撃機。23mm機関砲2門他を装備していて36,163機作られたそうだ。ちょっと意外だった。
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上面から見たイラスト図です。
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沈没箇所を示す十和田湖の写真です。
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会場入口から撮ったもの。
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30分ほど見て、多摩都市モノレールに沿った公園で昼食をとりました。
長閑さや 隔世の現在いま ランチする
会場にあったパネルから、転載します。写真も撮ったけど、聊かボケているので、主要点を抜粋するものです。
概歴
  1. 1922年(大正11年)立川飛行場完成
  2. 1924年石川島飛行機製造所誕生(石川島造船所の子会社)
  3. 1927年(昭和2年)飛行場近いという地の利を生かし立川にて一部操業開始
  4. 1934年(昭和9年)陸軍から九五式一型練習機,同三型練習機(通称「赤トンボ」)を受注
  5. 昭和11年 立川飛行機に商号変更
  6. 1937年(昭和12年)砂川村にて40万坪の工場用地を取得
  7. 機体製造は立川飛行機、エンジン製造は東京瓦斯電気工業(後の日立航空機)
  8. 立川飛行機にとって一式双発高等練習機は、全金属・双発・引込脚式の初めての航空機製品だった
製造数
機種製造機数
九五式一型練習機2398
九八式直協機849
九九式高等練習機1067
一式双発高等練習機1347
現在の立川飛行機は、不動産業に転じたとのこと。何しろ、40万坪の土地があるのだから、凄い!
だが同じ構内に「ジャムコ」の建屋もありました。ジャムコは、 『航空機内装品製造事業』、『航空機シート製造事業』、『航空機器製造事業』、『航空機整備事業』の4つの事業を行う一部上場企業です。
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