熟年旅行パート7 − 大分〜宮崎の旅 … 日本の古を訪ねて

平成29年11月吉日 山 下 永 二
熟年旅行は、北は北海道から南は沖縄まで日本中を縦横に旅して7年になりました。
佐高時代の気心の知れた仲間だからこそ続いたのでしょう。
佐高八期60周年同窓会が佐賀で行わる機会に、東九州、大分と宮崎を訪ねてみようと思いついた。大分といえば宇佐神宮、宮崎といえば天孫降臨の地 高千穂峡があり,古代日本のいにしえを訪ねる旅が熟年にふさわしいと思った。
今回のこの旅は、佐賀を含めて三泊四日でかなり複雑な行動があり、変更や変化があった。又延岡に在住している園田君にお誘いをかけたら、快い返事がすぐ返ってきた。中津から延岡までの観光に参加することになった。
メンバー11名(男性6名、女性5名)の大所帯で旅することになった。
  1. 前夜の出来事(10月25日)
    ニューオータニの同窓会の後、夜の部は七田君が愛敬島のバーに10数名を案内してくれた。帰路 タクシーに取り残された山口君と私は酔いを冷ますつもりで駅の方へ歩いた。橋のたもとから道路沿いに東南アジア系と思われるミニスカートの若い女性がまばらに立っていた。かっては見られなかった佐賀市内繁華街の夜景をみた。途中寿司屋に入って佐賀の銘酒「鍋島」を飲んでタクシーで駅近くのアパホテルに帰った。私が支払いをしているほんの数秒間だったが、先に降りた山口君が酔い脚でよろよろと歩道からはみだして、道路の中央付近で倒れた瞬間 後方からタクシーが走った。その時彼は、轢かれたと思った。すぐ彼のもとへ走った。「俺もびっくりしたよ」と声を出したので、助かったんだとホットとした。あの場で倒れなかったら車と衝突しただろうと思うとゾッとした。あぁこれで明日から旅が続けられなと思った。翌朝目覚めたら、「俺はなんでここに寝ているんだ。昨夜のことは、記憶にない」と国会答弁みたいなこと言った。 笑いごとではすまされない話だが運が良かったのだろう。
  2. 耶馬渓の青の洞門と天皇家の宗廟宇佐神宮 観光 (10月26日)
    中津駅で園田君と落合い、14、5年ぶりの再会でした。
    ・ 耶馬渓の青の洞門
    江戸時代の禅海和尚がノミと金槌だけで岩壁を掘りあけ30年の歳月をかけ、144mを貫通したという実話である。大正時代 菊池寛の小説「恩讐の彼方に」で広く世に知られるようになった。山国川沿い奇岩が連なる渓谷の紅葉は、11月末が見ごろという。1ケ月早かった。 昼食は、洞門を抜けた食堂で名物「大分だご汁」を食べた。
    ・ 天皇家の宗廟 宇佐神宮
    宇佐神宮を訪ねる前に、八幡神の宇佐神宮が天皇家となぜ繋がったのだろうと素朴な疑問を持った。
    宇佐神宮の本殿は、左から一之神(応神天皇)、二之神(ヒメの神)、三之神(神功皇后)が並んで祀られている。鎮座した順だが、応神天皇は、母 神功皇后が三韓征伐(新羅、高句麗、百済)した時、その帰途 豊前の地で誕生した。天皇になって、百済からの帰化人を受入れ、産業や文化の基盤を築いた。 大和朝廷の鎮守神として宇佐神宮に八幡大菩薩の神号を授与して皇祖神と位置づけたという。
    中央に位置する二之神「ヒメの神」とは一体誰だろう。
    資料によると、もともと豊前地方にあった地方神に、渡来人 秦氏の八幡神と神仏習合により信仰を深めていったと言われている。 邪馬台国の位置論争で豊前の宇佐説があり、卑弥呼という人もあり、天照大御神だと言う人もあるが、分からない。
    三之神 神功皇后は、応神天皇を生んだ母親だから容易に理解できる。
    参拝の作法は、二拝四拍手一拝で出雲大社と同じだった。
    宇佐神宮は、今や全国八幡神 4万4千社の総本山である。佐賀県にも10社、佐賀市に3社ある。 勧興小学校前にあるのは、竜造寺八幡宮で小学時代 下校時寄り道してよく遊んだ。 宇佐神宮で参拝して、別府温泉 ニューツルタで宿泊した。別府湾が眺められる宿だった。
    ・ 夕食後の懇談
    久しぶりに再会した園田君を中心に話が弾んだ。
    園田君は、延岡に在住して13年になるそうで、大都市 東京を嫌い、老後の住処を数か所探したが、延岡が最も住みやすく安住していると言った。彼の健康法は、自宅近くの温泉へ週3日位通い、サウナに入り、冷水で冷やすサウナ入浴法を三回繰り返しているという。 起床後やっている園田式柔軟体操を皆に教示した。
    園田君は、日本酒をこよなく愛好し毎晩2時間位かけてじっくり飲んでいるという。
    人生−酒 = 0 という園田方程式を信条としていると話していた。
  3. 天孫降臨の地 高千穂峡 観光 (10月27日)
    ・ 天孫降臨の地は、「西臼杵の高千穂峡」か「霧島の高千穂峰」か
    古事記では、天照大御神の命により孫のニニギノミコトが高天原から地上界「日向の国 高千穂のくしふる峰」に降臨したという。古来から天孫降臨の地は、 「西臼杵の高千穂峡」か「霧島の高千穂峰」か二説が論争され結論が出ていない。
    江戸時代の国学者 本居宣長は、西臼杵の高千穂峡に降臨した後、霧島へ移動したという折衷案を説いた。現代の考古学者 梅原 猛氏は、高千穂とは「高く秀でた稲穂」を意味し、 霧島は火山地帯でシラス台地になって稲作ができない。
    これに対し、高千穂峡は、水が豊富で稲作に適しており、ニニギはこの地に降臨したと考察した。古事記では、天照大御神の命により孫のニニギノミコトが高天原から地上界「日向の国 高千穂のくしふる峰」に降臨したという。古来から天孫降臨の地は、 「西臼杵の高千穂峡」か「霧島の高千穂峰」か二説が論争され結論が出ていない。
    江戸時代の国学者 本居宣長は、西臼杵の高千穂峡に降臨した後、霧島へ移動したという折衷案を説いた。現代の考古学者 梅原 猛氏は、高千穂とは「高く秀でた稲穂」を意味し、 霧島は火山地帯でシラス台地になって稲作ができない。
    これに対し、高千穂峡は、水が豊富で稲作に適しており、ニニギはこの地に降臨したと考察した。
    ・ 古民家での一風変わった昼食
    台風18号で別府〜延岡間のJR特急が不通になったので、宮崎タクシー会社の小型バスを別府まで足を伸ばしてもらい、 高千穂観光をすることになった。
    途中260年前の古い民家の食事処「神楽宿」の昼食が一風変わっていた。薄暗い部屋で、低い膳台に座イスに腰かけて、仲居さんが「蘇食御膳」の内容を説明した。 六品の中で、とうきびご飯と古代黒米うどんが珍しかった。
    50p位の竹筒に熱燗を入れて酌をして飲んだ。この地方の習慣だろうか。
    ・ 高千穂神社参拝
    高千穂神社は、1,900年前に創建され高千穂の皇祖神(日向三代)とその配偶者を主祭神としている。
    神社はさほど大きくないが、周辺に聳えていた杉の古木に囲まれて高千穂八十八社の総社として信仰を集めてきたという。一族の強者が当時暴れまわった「鬼八」を退治した彫刻を屋根脇に飾りつけて、古代技巧が諸々に見られた。
    ・ 神秘的な高千穂渓谷散策
    天孫降臨の一つ高千穂峡は、宮崎県の最北に位置し、切り立つ断崖が続く渓谷が神秘的な雰囲気を漂っていた。その中で、落差17mの真名井の滝がこの峡谷のメインだった。
    ・ チョウザメは鮫か魚か
    真名井の滝を過ぎて、溜め池に 大きさは、50〜60p位だろうか養殖のチョウザメがコイと一緒に泳いでいた。チョウザメは口先が尖って、鋸の刃のような背をしたどう猛な体形をしており、鮫の一種かと思っていたが、古代魚で鮫に似ているから「サメ」とい名称を使ったのだろう。宮崎空港のレストランでチョウザメの刺身を食べてみた。白身に上部が赤みかかったブリに似たような刺身でやや硬めだったが魚だと確信した。
    ・ 伝説継承の夜神楽見学
    渓谷のすぐ近くのホテル高千穂に宿泊した。夕食後、地元の観光協会の協力で地元の有志が天照大御神の「岩戸隠し」神話四幕を演じた夜神楽を見学した。
    よくも神話時代からの神楽を伝統継承しているものだと感心した。
  4. 台風22号接近による雨中の日南観光 (10月28日)
    台風22号が奄美大島あたりに接近し朝から雨であった。
    ・ 雨中の宮崎神宮参拝
    宮崎神宮は宮崎市内にあり、ヤマトイワレノヒコつまり初代神武天皇を主祭神としている。神武天皇はこの地で生まれ、成育した。この日向を発ち、豊国、筑紫国、吉備国、浪速を経由して大和へ東征したと伝えられている。
    本殿は、全体的に直線的で簡素な建造で、伊勢神宮の神明造と似ていた。参拝者は、我々の他に誰もいない静かさと厳かに構えられた神社に緊張した気持ちになった。
    ・ 時間があったのですぐ先の堀切峠まで行ってみたが、雨によって観れる景観ではなかった。青島も同様だったので観光を中止して、空港へ向かうことにした。
    ・ 欠航覚悟した宮崎空港での不安心理
    青島から空港へ向かう途中、もしかしたら、帰路飛行機が欠航になるかもしれないという話がでた。そんなことはないだろうと大勢は楽観的な気持ちだった。ところが、空港に来たら、次々と欠航が出て、JALは全便欠航となった。ANAは、我々の便と次の便だけが調整中となってその他は欠航となった。空港の外は、雨風が強くなり、不安が募った。空港に着いて宮崎に出張してJALで帰る予定の山口君の息子さんに偶然にも出会った。
    その息子さんが多分欠航になるだろうと、宮崎観光ホテルへ全員の宿泊の予約を取ってくれた。
    レストランでやけ酒を飲んでいた男性、心配顔の女性陣共に気持ちは暗かった。
    予定時刻の約30分後に東京からの便が着陸し、運航のサインが出た瞬間、下の方で、バンザイの声が聞こえた。我々のメンバーの顔が急にパッと明るくなった。深町君は、大好きな燗酒を飲まないで我慢してが、彼を中心に男性陣は、燗酒で乾杯した。
    予定の約1時間後に宮崎を飛び立った。後部座席にいたためか飛行して30分位は、機体の後尾が千切れるのではないかと思うぐらい揺れた。
    用心深く欠航したJALと顧客サービスを重視したANAの運航の違いを感じた。
    運航と欠航の判断は、最終的にパイロットに委ねられたかもしれないが、この決断は難しかっただろうと思う。我々は、運が良かったので無事帰路につけた。
  5. 旅の終わりに
    ・ 複雑な旅程
    佐賀の60周年同窓会に参加したついでに東九州(大分、宮崎)を回って旅するには、参加人員が11名だったため、JRの他タクシー会社の小型バス(24人乗り)を貸切って観光することにした。タクシー会社は、大分と宮崎の管轄があり二つの会社と交渉しなければならなかった。出発日時が異なる人があり、途中参加者もあって、トラベル会社の交渉は複雑になった。
    今は便利なもので、10数回のメールのやりとりで細かい交渉ができた。
    ・ 行きも帰りも台風に振り回されたが運が良かった旅
    往路は、台風21号が関東地区に来襲する予報だったが運よく朝方早く通過してくれた。復路は、台風22号に運航か欠航か悩まされたがここでも運がついた。
  6. 写真
     
      
    青の洞門を背にして
     
      
    宇佐神宮本殿前
     
      
    神楽宿昼食
     
      
    神楽宿竹筒酒酌
     
      
    高千穂神社鬼退治彫刻
     
      
    真名井の滝を背に
     
      
    チョウザメ
     
      
    夜神楽岩戸隠し
     
     
     
     
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    • アップデート:29/11/09     [Return]