合理性

2022/9/10 石井ト
  1. イントロ
    合理性という言葉について、我々は日頃からよく耳にしているが、その意味については殆ど無頓着だったように思う。だが、その言葉の意味を明らかにした記事を見付けたので、以下、一報する次第です。
    一昨日の9月8日(木)、毎日新聞朝刊の「オピニオン」頁に、アジア調査会会長 五百旗頭 真氏のオピニオンが載っていた。 題して「激動の世界を読む:ウクライナと戦争秩序」だ。
    その中に、氏の略歴が記されていたので、転載すれば、「1943年生まれ。京都大大学院修了。専攻は日本政治外交史米ハーバード大学客員研究員、・・・云々」 とあった。 テレビでは、BSーTVSの「報道1930」や、BSフジの「プライムニュース」で何回も見たことがあるので、結構マスコミ登壇の多い人物である。 そのテレビでの印象は、知性派だ。
     
  2. 合理性とは
    その五百旗頭氏が、毎日新聞朝刊のオピニオン欄に記した文章で小生の目が留まったのは、「合理性とは目的と手段のバランスである。」 と記した一節。
    我々はというか私は、日頃何気なく「合理性」とか「合理的」とかの言葉を使う。でも、「合理性」の中身には無頓着だ。 それが、今回、五百旗頭氏の寄稿文で、「あっ!そう云うことか」と合点がいったというわけだ。
    氏のこの言葉を含んだ一節を抜粋しておく。以下の通りだ。
    戦争手段の極度の発展が、戦争を不合理なものとした。合理性とは目的と手段のバランスである。 通常の戦争目的は領土、資源、利権など限られたものであり、そのために人々を大量に殺すのは不合理の極みである。 国民の滅亡を賭して発動すべき戦争目的などあるだろうか。
    思えば、人間の行動は殆どが合理的といえる。 日々、我々は最小の労力・出費という手段で目的を達成しようとしてることを思えばむべなるかなであろう。 ただ、殆どというのは絶対を意味しない。 即ち、例外が存在するのである。例えば、婦系図の主税は出世目的のためお蔦を離縁するという不合理を実践した。 斯くて人間は不合理をすることがあるとなり、それを規制する仕掛けとして現れたのが法である。 即ち法は合理性の発露したものなのである。
    ここに法とは人と人との約束を云う。従って、法乃至は約束を護ることは人間社会の基本思想といえるものなのである。 従って、「法は守るが約束は守らない」という表現は意味を持たないとなる。
    法は、内なる法と外なる法がある。我々は個人として内なる法を順守することで合理性を追求しなけらばならない。 また、集団としては外なる法を順守することで合理性を追求しなけらばならない。 従って、「合理性」は人類永遠の普遍思想と言えるのである。
    合理性の性質(プロパティ)を拾い書きしてみる。
    1. 合理性を追求すれば、刹那的思考から脱し、戦略的思考をするようになるだろう。因みに、刹那的思考を専らとする人間の年齢レベルは12歳。 戦略的思考が出来る人間の年齢レベルは37歳と言えるかも。マッカサーが言ったことが思い出される。
    2. また、合理性を追求すれば、法や約束を作り、それを守るという思想が生まれるだろう。これは現にそうなっているが完成していない。 この先もずーっとだ。世の中の進歩につれ微調整されていく。
    3. ユーモアとは合理性の矛盾を云うのかも。
    4. また、合理性の睡眠薬は狂気・狂信かも。
    5. 大昔の先史時代のころ、病に罹った我が子を何とか救いたいと願う親は、何とかしたいと考えるだろう。そして思いついたのが万能の存在だ。 その結果、彼にできることはゼロから祈りへと広がった。 それが現在、今世を祈る薬師如来へと結実している。薬師如来は人間の合理性が生み出した創作思想と言える。
    以上から、「合理性」というメジャー(尺度)の大切さを肝に銘じなければならないとなる。
     
  3. 追記:教育論
    私は、小・中・高で、「合理性」とは何かをしっかり教えるべきだと思う。侘び・寂び・人情・協調なんて教えるだけなら、 外人との接触時、話が合わないだろう。彼らは、合理性に従った話をするからだ。 従って、世界を相手にするなら「合理性」についてしっかり教えなければならない。 さもないと感性で動く人ばかり増え、これからの世界ではじり貧だ。感性では話が通じないからだ。
    「合理性」は人間社会の基本則だと思う。それを教えないなんてどうかしてる。「合理性」を仕込めば外人との協調も進むはず。そしたら国力も増すだろう。 教育改革の基本は「合理性」教育にある。明治時代の教育目的が忠君愛国なら、今の教育目標は「合理性」教育にすべきだろう。 川上は「合理性」教育を基本としたら、川下は決まるはず。今は川下の細かいことに終始しているように見える。本末転倒だ。 その原因は本末の区別がつかないところにある。「合理性」教育の無さの結果である。
    小生、高校卒業後、日大理工学部物理学科に入ったが、入って驚いたのは、クラス8名の内7名が、安保反対・非武装中立を唱え、 デモに参加しようと私を誘ったこと。 小生、安保反対は兎も角、非武装中立では「例えば朝鮮が攻めてきたらどうするのか?」と訊いたが、誰も納得いく答えをしなかった。 そんな状態でデモに参加しようと誘うのだからどうかしてると思ったが、 小生、一歩譲って、安保反対ならと参加した。以来、現在に至るも非武装中立論について納得いく答えを得ていない。
    このような乱暴な思想が熱心に支持されたのは何故か?
    1. 熱病に罹っていた
    2. 合理性の欠如
    合理性欠如は、「話せば解る」世界を超越して、話しても解らない世界を作り出す。 そんな世界では、運用レベルでのごまかしや解釈ですり抜ける刹那的思考による行政が行われる。 今や、憲法9条解釈等の各種解釈が日常化し合理性の影が薄い。 そのような歪んだ状態から脱し「話せば解る」世界を作るには、「合理性」教育が要る。
    日本人は、生活の基盤として道徳を習うが、道徳は人間世界の交際の仕方を規制するハウツーものに過ぎない。 道徳と合理性は重なる部分もあるが全く違うものである。道徳は人工則に依るが、合理性は自然則に依るからだ。 道徳的生活と合理的生活とは共存する別物だ。道徳論ばかりが幅を利かす世界に発展はないだろう。
     
  4. 追記2:刹那的思考から戦略的思考へ
    日本人は、「合理性だけでは角が立つ!」と言うだろう。そして柔んわりと中をとるようなことを善しとする。 だが、この煮え切らない態度が重なると、若年寄のような人が増え世の中は停滞する。 従って、合理性を貫く思考が大事。合理性を貫けば、目先困難でも長い目で見ればハッピーになる。 即ち、刹那的思考から戦略的思考への転換が実現するのである。マッカーサーも驚く12歳からの脱出だ。
     
  5. 追記3:合理性涵養の方法:物理学史
    合理性を身に着ける方法は、物理学史を知ることだ。 ギリシャ時代のピタゴラスに始まり、量子論や相対論に至る過程を短いエピソードの集まりに仕立てれば、一発で合理性が身に着くだろう。
    物理学の特徴は、物理学上の全ての法則が、証明されていることだ。 物理学に留まらず、自然科学の法則についても同様で、証明されている。
    証明されているということは、その法則が事実であるということから、その事実を応用する工学系の学問が発展し、 その工学は合理性のいうところの手段に貢献するものであるから、法則は合理性の賜物であると言えることになる。 合理性とは目的と手段のバランスであるとしたその手段に工学は貢献するものであるから、合理性の賜物であると言える。 なお、医学、薬学、天文学、論理学、統計学、史学、考古学なども自然科学に含まれるとした。 即ち、合理性は法則を創り出すのである。従って、合理性の涵養には法則を創り出す過程を学ぶのがいいとなる。
    一方、人文学の証明は曖昧で仮説のレベルにあるに過ぎない。 こんな世界では、諸説が百花繚乱する。そのどれもが合理性のいう手段に与するものではないので、合理性の涵養には貢献しないとなる。
     
  6. 追記4:人工知能による法則の合理性
    神戸大学大学院システム情報学研究科の谷口隆晴准教授、大阪大学大学院基礎工学研究科の松原崇准教授らの研究グループは、 人工知能を利用して、詳細なメカニズムや方程式が未解明の現象に対して観測データから物理法則に忠実なモデルを作成し、 シミュレーションを行う技術の開発に成功しました。 これにより、詳細なメカニズムや方程式が未解明の現象(波の伝搬、亀裂の進展、結晶構造の成長など)であっても、十分な観測データが取得できれば、 シミュレーションが可能になると期待される。 (物理法則に忠実なシミュレーションを行う人工知能より抜粋。詳細は、 ここをクリックのこと。
    このように人工知能が発達すると、十分な観測データとシミュレーションが法則を証明することになる。 問題は、このようにして証明された法則が、合理性の手段として役立つものであると言えるのだろうか?ということだが、 小生は、人工知能による事実の発見とそうではない人間知能による事実の発見とに差はないと思う。 事実は事実ってわけだ。合理性は事実にあるのではなく、事実の応用の仕方にあるからである。 従って、人工知能による法則は応用可能であるので合理性は在るとなる。
    問題は、その法則の実体とは何かだが、シミュレーションロジックがそれに当たるとした場合、
    1. そのロジックを人は理解できるだろうか?
    2. そのロジックに普遍性があるかどうか人間に解るだろうか?
    という問題が生じる。
    若し、上の、
    1. そのロジックを人が理解できるなら、そのロジックは法則となり、
    2. そのロジックが理解出来ず普遍性が認められなければ、そのロジックは人工知能の神託となるだろう。
    1.の場合、法則ができるのでその応用が合理性に手段を与えるだろう。
    2.の人工知能の神託の世界では、人間の主体性は失われる。
     
  7. 追記5:人工知能と人との共生
    数十年後の世界では、人工知能の出す回答の重要なものは、人の判断能力を遥かに超えたもので、人はその解の合理性を判断出来なくなるだろう。 人はその解の合理性を判断出来ないにも拘わらず決定を受け入れざるを得ないだろう。 その場合、人工知能に人権はないので自ら責任をとることはないが、人が結果を判定し失敗なら、 人工知能の責任を追及し、罰として人工知能のロジックを改訂するなどするだろう。 だから、人工知能は、責任をとる結果となる。
    松と松茸の場合、松と松茸を構成する真菌は持ちつ持たれつの共生関係によってこの世に存在しているが、 その共生関係が人と人工知能の世界でも実現するようになるのである。 要するに、人工知能はこの成功と失敗の過程を通じて成長することになる。
    合理性という考え方は、人工知能と人との共生世界を産む結果となるだろう。合理性という思想に咲いた花であえう。
     
  8. 追記6:人工知能同士の共生
    人工知能の成長がこの成功と失敗の過程を自ら行うようになると、人間不要の人工知能同士の共生世界が実現する。 そうなると、人は主導権を失い、衰えていくかも。
    斯くて、地球は、生物覇権時代を脱し、人工知能覇権時代となる。・・・無機的で面白くないかも。
    だが、面白いってどんな概念なんだろうと考えるとき答えが見えてくる。
    例えば、よさこい節という民謡で、「土佐の高知の播磨屋橋で、坊さん簪買うを見た」と歌う例をとれば、 女人禁制という合理性と人間の繁殖本能という合理性が衝突していて面白い。合理性と合理性の衝突場面は面白いのである。
    だが、人工知能は生命体ではない。ということは、基本的には目的を持たない存在なのだ。 そんな存在するだけのものに、合理的な手段などは存在しないだろう。 となると、合理性の衝突は存在しないとなり、結果、面白さはないとなる。 即ち、人工知能同士の共生は、存在するとしても存在するだけの物、即ち無機物となる。 生命体の存在が無ければ意味がない。人工知能と言えども、生命体の道具を超えるものではないだろう。ずーっと。 だが、人工知能が生命を持つなら、面白い世界が生まれるはず。
     
  9. 追記7:人工知能が生命を持つ世界
    人工知能が生命を持つことは合理性の復活を意味し、死への恐怖が自らの行動を規制するという意味で、いい面もある。 だがそのためには、人工知能の生物化が必要で、そのためには、人工知能の脳の生物化が所要となるだろう。
    生命誕生から人類誕生まで、40億年を要したこと。 更に、人類誕生からホモサピエンス誕生まで10万年を要したこと。 また、最近の科学技術進展のスピードなどから、人工知能の脳の生物化の実現時期をエイヤっと推測すると、100〜200年程度ではないだろうか。 でも、人工知能の脳の生物化は、その人工知能が永遠に死を免れることを意味しない。 だが、面白い世界は期待できるはず。合理性が復活した合理性プロトコルの世界だから。
     
  10. 追記8:非合理性プロトコル世界
    合理性が意味を持たない世界、即ち、非合理性プロトコル世界を考えてみよう。 冒頭で述べた通り、合理性とは目的と手段のバランスのとれた世界を云うので、非合理性プロトコル世界とは、 目的と手段のバランスのとれない世界ということになる。眞に混沌の世界だ。
    生命活動があれば生命維持が目的化するから、合理性が生まれる。 そうなれば、合理性が意味を持たない世界という前提が壊れる。 だから非合理性プロトコル世界とは生命活動の無い世界となる。 例えば、太陽がそれに当たるのは間違いない。ウサギがいなければ月もかも。
     
  11. 追記9:黄金比の合理性
    見た目の美しさとして黄金比という数値がある。 小生の興味は、この黄金比と合理性の関係が在るのか無いのかということ。 美しさが脳にとってハッピーなら、黄金比が脳に何らかの合理性を訴えているのではないかと推測するものだ。
    黄金比とは、1対1.618・・・(無理数で以下無限に数字が続く)の比のこと。名刺の縦横比がその身近な一例だ。 また容姿の美の基準としても使われている。 従って、脳の認識の合理性、即ち少ないコストで最大の認識を得る脳内の画面サイズが黄金比だとする仮説があり得るのではないだろうか。
    だが、そうだとすると、醜い実体があったとして、それが、脳内の黄金比サイズの画面で美しいと認識されるはずとなる。 だから、脳内の黄金比サイズの画面案は成り立たない。
    面白いとは合理性の衝突だった。では、美しいとは何?、即ち、黄金比は何故美しいのか?・・・多分、合理性と関係した理由があるはずだが、解らない。 だが、ここに、一つの仮説を建てよう。
    黄金比を満たす映像を注意深く見る(凝視する)場合、その認識活動に要するエネルギー消費量が低いレベルで安定し、その安定状態を美しいと感じる。
    この仮説の結果、対象物を見るという目的が、エネルギー効率のよい手段で果たせるとなり、目的と手段のがバランスするので、 黄金比は合理性が保たれるとなる。
 
 
 

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