合理性の発見者

2022/10/11 石井ト
 
先の短文で合理性についてるる述べたが、世界でこの言葉を最初に思いついたのは誰か?を考えてみた。
参考データは次の2点
  1. 万物の根源
    小生の浅学の思いつくところは、紀元前6世紀に活躍したギリシャ哲学者タレスだ。
    タレスについてネットから次を抜粋した。
    タレスは紀元前600年前後に活躍した古代ギリシャの自然哲学者です。
    タレスが生きた時代は、この世界は神々が作ったものであり、すべての物事は神話によって説明づけられていました。 タレスは物事の合理的な説明を試みた人物として知られています。 「万物(アルケー)の根源は何か」……。この問いかけに対し、タレスは具体的な学説を打ち出します。 万物の根源は「水」であり、世界のすべては水から作られ、また水に戻るのだと説いたのです。
    タレスと同じように、この時期、「万物の根源は〇〇である」という議論が頻繁に行われるようになります。 アナクシメネス、ヘラクレイトス、エンペドクレスなど数々の哲学者たちが万物の根源を追い求めるようになり、 万物の根源の追及が古代ギリシャ哲学の基礎となっていったのです。
    注目すべきは、彼らの興味が「万物の根源」にあったこと。 このような漠としたテーマに対しギリシャ人たちは真剣に取り組んだのが凄い。日本人なら餓鬼っぽいと一笑に付すところだ。 このことが小生の一番驚く点だ。思考法が我々と基本の点で違うというところが気になる点だ。この違いって大きな研究テーマではないだろうか。 ギリシャ文明以前、3千年間のエジプト文明やメソポタミア文明の伝統を受け継いだのだろうか。 この一笑に付さないで物の根源を知ろうとする態度こそ真の文明なのかも。
    小生など、「万物の根源」なんて問題には思いも及ばずナンセンス!で一笑に付すのが今までだった。 況していわんや、それが「水」と聞いて、そんなバカな!で終わっていた。それがつい先ほどまでの私だった。 なんと84歳まで物心ついた以来80年の伝統に輝く理解だったのだから驚く。 だが、「万物の根源」という漠としたテーマを馬鹿にしないで真面目に取り組んだ彼らの思考方法には脱帽だ。 それほど世界史な事件だったのだ。ギリシャ哲学って凄いよね。 抽象的な思考が可能な階層が存在したのだから。
    わが国の黎明期には、そのような抽象思考の歴史事実は聞いてない。在ったのは歴史書(日本書紀など)、抒情文学(萬葉集など) などの実用思考の歴史事実だけである。その原因はわが国の島国という孤立性の所為だろうが、 抽象思考の歴史がないという事実は自覚すべしである。抽象思考の方法は、対面思考から鳥瞰思考に切り替えることだ。 別の言葉で言えば、二次元思考から三次元思考へだろう。次元が1つ増えると複雑になる。だがそれを避けるため抽象化が進むのだ。
  2. ある実験
    中国人と西洋人の根本的な発想の違いについて記した実験の結果がある。次の通りだ。
    「パンダ サル バナナ」。この三つの単語から近い関係の二つを選べ   こう聞かれたら、あなたはどの単語を選ぶだろうか。 この質問を米国人と中国人の大学生を対象に行った心理学者の実験がある。 多かったのは米国人では「パンダ サル」、中国人は「サル バナナ」だった。
    前者は動物という「分類」を、後者は「サルはバナナを食べる」という関係を重視したわけだ(ニスベット著「木を見る西洋人 森を見る東洋人」)。
    西洋人は分析的かつ論理的、東洋人は物事の具体的関係性を重視するとの説を裏付けるデータである。
    (2019年5月8日(水)の毎日新聞朝刊一面の「余禄」欄より抜粋。本HPでも取り上げた。)
以上の結果から、ギリシャ文明の後継者としての西洋人は物の根源を探るほど物を直視し、中国人は物と物の関係を見るに留まったとなる。 物を直視し追求しなければ物の本質は掴めない。 一方、中国人は物と人との関係に集中した。即ち、物のプロパティ(性質)を見るに留まったのだ。 中国人は物にはプロパティ(性質)の外、機能・構造と言う属性があることに気がつかなかった。
物の根源(性質・機能・構造)を知れば、物の利用法が見えてくる。即ち、目的に応じて物を利用する手段が見えてくる。 その結果、目的遂行のための手段を通して合理性が涵養されるのだ。従って、合理性は西洋人の発見するところとなったと推測できる。 従って、標題への答えはタレス以降の西洋人である。
合理性の発見は人類に文明の科学的発展を齎した。そして、これからも増々発展する礎になるだろう。 合理性は、一部の人のものだげではおぼつかない。皆が合理性を身に着けなければならないのだ。 合理性思考が世界平和を保全するはず。それこそ文明のあるべき姿だろう。
余談ながら、合理性思考が世界平和を保全するという点について一例をあげれば、嘗ての太平洋戦争がある。 あれは、合理性思考が停止し、思い込みという非合理性思考がもたらしたもの。 思い込みとは精神主義と言う独善で、独りよがりの願望レベルのものだった。精神主義を排し合理主義に徹すれば世界平和が保たれるだろう。
 
 
 

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