万物の根源
小生の浅学の思いつくところは、紀元前6世紀に活躍したギリシャ哲学者タレスだ。
タレスについてネットから次を抜粋した。
タレスは紀元前600年前後に活躍した古代ギリシャの自然哲学者です。
タレスが生きた時代は、この世界は神々が作ったものであり、すべての物事は神話によって説明づけられていました。
タレスは物事の合理的な説明を試みた人物として知られています。
「万物(アルケー)の根源は何か」……。この問いかけに対し、タレスは具体的な学説を打ち出します。
万物の根源は「水」であり、世界のすべては水から作られ、また水に戻るのだと説いたのです。
タレスと同じように、この時期、「万物の根源は〇〇である」という議論が頻繁に行われるようになります。
アナクシメネス、ヘラクレイトス、エンペドクレスなど数々の哲学者たちが万物の根源を追い求めるようになり、
万物の根源の追及が古代ギリシャ哲学の基礎となっていったのです。
注目すべきは、彼らの興味が「万物の根源」にあったこと。
このような漠としたテーマに対しギリシャ人たちは真剣に取り組んだのが凄い。日本人なら餓鬼っぽいと一笑に付すところだ。
このことが小生の一番驚く点だ。思考法が我々と基本の点で違うというところが気になる点だ。この違いって大きな研究テーマではないだろうか。
ギリシャ文明以前、3千年間のエジプト文明やメソポタミア文明の伝統を受け継いだのだろうか。
この一笑に付さないで物の根源を知ろうとする態度こそ真の文明なのかも。
小生など、「万物の根源」なんて問題には思いも及ばずナンセンス!で一笑に付すのが今までだった。
況していわんや、それが「水」と聞いて、そんなバカな!で終わっていた。それがつい先ほどまでの私だった。
なんと84歳まで物心ついた以来80年の伝統に輝く理解だったのだから驚く。
だが、「万物の根源」という漠としたテーマを馬鹿にしないで真面目に取り組んだ彼らの思考方法には脱帽だ。
それほど世界史な事件だったのだ。ギリシャ哲学って凄いよね。
抽象的な思考が可能な階層が存在したのだから。
わが国の黎明期には、そのような抽象思考の歴史事実は聞いてない。在ったのは歴史書(日本書紀など)、抒情文学(萬葉集など)
などの実用思考の歴史事実だけである。その原因はわが国の島国という孤立性の所為だろうが、
抽象思考の歴史がないという事実は自覚すべしである。抽象思考の方法は、対面思考から鳥瞰思考に切り替えることだ。
別の言葉で言えば、二次元思考から三次元思考へだろう。次元が1つ増えると複雑になる。だがそれを避けるため抽象化が進むのだ。