快適な絶望

2022/8/12 石井ト
去る8月6日(土)の8:30から、BSテレ東京の「一柳良夫が問う日本の未来」を見た。
司会の一柳良夫氏は元通産官僚。
斎藤 惇氏は熊本の濟々黌出身で慶大卒。野村證券副社長を経て、現在日本野球機構コミッショナー。83歳だ。
成田悠輔氏は、昭和61年生まれで現在38歳。麻布中学・高校から東大卒、卒論で主席で卒業より格上の大内兵衛賞を獲った。イェール大助教授。 ウイキペデァによると、イェール大学は、アメリカ合衆国のコネチカット州ニューヘイブン市に本部を置く、1701年創設の私立大学である。 アメリカ東部の名門大学群アイビー・リーグに所属する8大学のうちの1校である。
小生、土曜日の8時半と言えば、朝食後の長閑な時間で、何気無くテレビを見てたが、その番組がこの3人の対談番組だった。
面白いと思ったのは、この3人の中でひときわ若い成田悠輔氏の顔貌と話の中身。 顔貌では、点睛で狡さや色気のない面立ちのこと。いい顔してると思った。
話では、現代の日本社会の世相を「快適な絶望」と言い表したこと。 内容は、そこそこの収入で我慢すればそれなり快適な生活が出来るが、決して豊にはなれない世相を評したものだ。 平たく言えば、家庭を持ち、小さな3LDKほどの家を持ち、車さへ持てて、たまに家族旅行さへ可能という生活を「快適な」と表現したものだが、 その反面、決して、これ以上は望めない現実を「絶望」と表現したのだ。 確かに、努力してもしなくてもそこそこの生活は送れるが、決して満足は得られないのが現代の日本社会の現実だ。
話でもう一つ言ったのは、これも日本社会を評した言葉だが、「やけくその挑戦」といった。 確かに先の戦争もその「やけくその挑戦」の一例だ。 日本人は、冷静な思考の結果行動するのではなく、複雑さに付いて行けず思考停止してしまう気配がある。 薩まっぽ風に言えば「論を言うな!」である。
番組でこの三方が主張したのは「教育改革」だ。 特に文科省の教科書主義を批判していた。 要するに、教科書は、そこからはみ出た者をはみ出さないように仕立て直す仕組みだと言うのである。 確かに、今は、正解のない世界に踏み込んでいるのに、あたかも正解があるように教育するのは如何なものかとして「教育改革」を主張されていた。 この課題は、世論調査では、今の日本が抱える20の問題点の最下位のランクだそうだ。
小生も思ったが、人間の能力には差があることを認め、その能力に応じた教育の仕組みを考えるべきだろう。 そしたら、「快適な希望」の社会が期待できると思う。
その実現のための方法について書いてみる。
例えば、囲碁の世界だ。このゲームは、自分で考えて強くなっていく。 先生の叱られるからではなく、自走で勉強するのだ。 その方法は、昔は、棋譜を聴いた書物が、自走を助ける手段だったが、今ではAIがある。 これに嵌れば自らの力で延びていくはず。
この事を、例えば物理という学問の場合に当て嵌めると、これもAIが力を発揮するはず。 物理は、人間感覚が体験できる問題なら、誰でも一定のレベルに達することが出来るだろう。 だが、これが超ミクロの世界を取り扱うとき、人間感覚が実感できないので、理解できなくなってします。 例えば、10次元世界を取り扱う場合などがある。我々は3次元空間と時間の4次元世界で活動しているが、10次元世界だと、残りの6次元世界は何処にある?となるのだ。 だが、AIが、その超ミクロの世界を可視化できるとしたら、相当の人間が理解出来るようになるはず。 例えば、4次元世界のミクロな一点が6次元世界を構成しているというように、AI化が自走をアシストしてくれるはず。
だから、「教育改革」のもう一つの柱は、AIアシスト学習だ。 これやると大企業になるはず。俺が若ければやるのだが、なんて歳の所為にしておしまいにしよう。
 
 
 

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