戦後70年の思い出特集

大晦日そして戦後70年締めの日

H27/12/31  さがん
今日は、大晦日そして戦後70年締めの日。
今朝偶々、NHKテレビで今年没した鶴見俊輔・愛川欽也の懐古番組を観た。 二人に共通するのは、戦争70年を貫いた平和主義。共に成長の過程での体験。
体験したことのない若者に、理解させるのは至難の業だが、それでもこれからも続けたいと欽也。先日、作家の五木寛之も、 戦争の悲惨さの語り部としてやってきたが、この5年ほど前から空しさが募る、聴衆に語りかけても右から左へ抜けていくだけで、 心に沁みこむように受け止められていない、もう辞め時かなと慨嘆していた。 今後戦争に巻き込まれずにいつまでも戦後のままであって欲しい、多くの人の気持ちだろう。 70年前空襲で家を焼かれ、知人も死んだ体験をして、もう戦争はまっぴら。安保法案・沖縄など血が騒ぐがもう若くない。
序ながら、NHKのアンコールドラマ「紅白が生れた日・・・」の録画も観て、戦後70年間の世の変遷を感じた。
当時のNHKは、日比谷公園近くにあり、戦後よく日比谷公会堂からのラジオ公開番組も耳にした記憶あり。 私の入社した会社も、NHKの隣りにあり思い出が多い。
今では、NHKも澁谷に移り、近辺のビルも殆ど建て替わり、僅かに日比谷公園・公会堂・などが往時の面影を残している。都電は廃止、 帝国ホテルは明治村に、鹿鳴館跡地は近代的ビル、戦前の政友会の跡地は東電ビルなどなど明治・大正・昭和の影は薄くなった。
私たちが生まれた昭和13年の70年前は幕末明治維新の頃、これからの70年は?
佳いお年を!
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メイル拝見
副島 茂
明けましておめでとうございます。年末から年始にかけて宇治に住む息子と 奈良に住む娘宅で過ごしましたので返事がおくれました。京都の八坂神社、宇治の宇治神社、 奈良の唐招提寺、薬師寺などにお参りして来ました。いずれも大変な人出で賑やかな新年でした。
所で、石井さんの言われる事、私も全く同感です。語尾に疑問符言葉や仮設言葉を加えて 一言で言えば「責任逃れ」が目立ち過ぎです。自らの考えを断言できる信念ある人が 居なくなってのでしょうか。「場の空気」、「関係の空気」、「時の空気」の読み過ぎ からは、建設的な進歩は期待できませんね。一刻も早く脱皮しなければなりませんね。
(2016/1/3 17:30)
ご案内メールから
石井俊雄
NHKテレビで今年没した鶴見俊介・愛川欣也の平和主義の行く末を案じる所感をお寄せ頂きました。
そういえば、最近の人、はっきりもの言いませんよね。
例えば、「・・・だったらいいな」という言い方、横行してますが、自分の意思を顕にするのではなく、 仮定の話にすり替えて逃げ道を用意するように聴こえるのは私だけでしょうか。
それとも、すでに、断定の言い方に変化してしまったのかな? という位横行しています。
日本語のいい加減さ、行く末が見えてこないはず。 我々はもっと言葉を大事にしなければいいけないのかも。
(2015/12/31 12:50)