戦後70年の思い出・所感 特集

思いつくままに(Y)

H27/10/13  野中 進
秋長けて秋晴れの好天気が続いています。毎度お世話になっております。思いつくままにーYを送ります。時系列になっておらず将に思いつく侭ですのでご笑覧下さい。
わが父は病弱故に丙種合格、兵役免除で一家離散をまぬかる (野中しん)
(非国民扱いされたこともあるが、おかげで一家は救われました。将に人生塞翁が馬ですね)
広場に集合竹槍訓練したものの、新型爆弾2発で降参 (野中しん)
(最初は原子爆弾とは知らず、新型爆弾と聞いていた)
敗戦をラヂオで聞いた父は、まだ防空班長と言い争っており (野中しん)
(防空班長は日本は神国であり、負けるはずがないと怒鳴っていた)
昨日まで鬼畜米英と叫びし班長は、今日から自由の国と宣もうており (野中しん)
大学受験に失敗せしわれに、ほっとしたと母はため息 (野中しん)
(兄が大学3年、父は入院、下に3人弟妹がおり兄が卒業するまで1年待てと慰められた。来年は絶対受かる通学できるところへ行けと言われた)
音読みで出席を取る国語教師、ヤチュウシンとはわれのことなり (野中しん)
アヒルではありません、アビルですと先生に抗議せし阿比留君は今何処 (野中しん)
模型の家お前のはゆがんでいると教師笑い、我に工業高校の兄はいなくて (野中しん)
(友はほとんど工業高校の兄が手伝っており友は金賞、我は選外)
大会で手造りの模型飛行機飛ばせるも、3分20秒でお掘りに墜落 (野中しん)
(成章中学の運動場の北側に大きい溜池があった)
冬枯れのエゴの葦原かすみ網かけて葦きり捕まえにけり (野中しん)
(エゴとは家の前を流れる多布施川の支流でたぶん江湖のことであろうと推測している。捕るまでが楽しみで、ヨシキリを食べた記憶はない)
今一度食べたいものは思い出す、ザルいっぱいに盛られていたシャッパ (野中しん)
売りにきしバケツの中のムツゴロウ、観念したか瞼閉じおり (野中しん)
(昔は魚屋が町に売りに来たが、今では直接料理屋へ行くと聞く。魚類で瞼を持つのはムツゴロウだけらしい)
上京しからかわれたる佐賀弁の、シェンシェー、シェンパイ、シェンの利休 (野中しん)
(会社の近くに「紫水」という寿司屋があったが、どう聞いてもススイノオシシと聞こえるといって反論したが、多勢に無勢で判定負け)
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