戦後70年の思い出特集

−今日は敗戦記念日(続)−

H27/8/30  さがん
8月は何と言っても戦争終結の月。振り返れば人生の分水嶺ともなった、その8月もあと僅か。 そこで、記憶が薄れないうちに、戦災後移動した仁比山での暮らし、思い出すままに(備忘録的に)敢えて挑戦。
(昭和21年、前橋から神埼仁比山の親戚農家を頼って移転)
間借りする 肩身の狭さ いかばかり (農家の屋根裏部屋に家族6人転がりこんだ一年、今想う、両親それぞれの心労、受け容れ側の複雑な気遣い)
目が覚めて 今朝も腹痛(はらいた)ずる休み (記憶にはないが、親父によると、仁比山に転校して暫くはよく登校拒否したようだ)
とは言え、当時の田畑や山川は、まさに”国破れて山河あり”、戦争で人手不足、自然は手つかずのまま。 子供にとっては、至るところ遊びのパラダイス。生き物も多彩、呼び名方言も豊富。田園生活は楽しかった。
ふるさとは ”朧月夜”が よく似合う (母の生まれ故郷でもある仁比山は、まさに唱歌そのまま)
方言増えた くちなわ・びっき ひゅうたんご (ナマズの幼魚、その形状が瓢箪に似ている)
日が沈み 田植えも過ぎて 蛍狩り (蚊帳の中でしばし愉しんで叱られた。蚊帳の匂いが忘れられない)
初体験 スカンポ・桑の実 ぐみの味 (柿、スイカ、まくわ瓜など 人の目を盗んで食した)
気息奄々 木炭バスが 今日も行く (馬力不足で余りスピードは出なかった。木炭バス頑張れ―!)
田舎暮らしの日常は、町の生活テンポとは異なったが貴重な体験。 その後の成長過程に影響大。
農繁期 子供も鶏(とり)も 放し飼い
風呂の日は つるべ落として 五右衛門に (料理・飲み水も風呂も全てつるべ汲み上げの井戸水)
目に沁みる かまど火おこし 火吹き竹 (家の風通しは良かったが、温度管理は自然体)
おできには 火箸で膏薬 延ばし貼り (当時、栄養不足のせいかおでき・いぼの類が年中。膏薬には世話になった)
飼い虫は のみとしらみと かいちゅうさ (食糧不足で痩せている身に、勝手に居座られて閉口した)
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