三途の川ぶらり旅

山口 孝一郎

その12(完結編)(人間どものよいところ)

宗明の演説は次第に熱をおびてきた。
「私は昔 近所の寺で、弥勒菩薩さまの『極楽』の説法を聴いた事があります。
そこは『兜卒天(とそつてん)』と言う極楽ですが、そこは明るくて花が咲き いい薫りが漂い、時々鳥の声などが聞こえて来るのですが、仏様たちが集まって、笑談をし 議論等をして 永遠の幸せを楽しむところだそうです。苦しみとか、悩みとか、非衛生とか、病気とかはないのです。
ここ『兜卒天』は仏様に成らないと行けない所ですが、人は修行を積めば『仏様』になれるそうです。 でも、人が『仏』に成る最後の修行は 『欲』を捨てる修行です。
最後の修行で『無欲』になって『慈悲』を得て仏になるのです。」
いつしか夢中に成って説法をする宗明を見て安サンも、健吾さんもポカンとして聞き入っている。
藤吉は宗明の卓越した見識と、洞察力を目の当たりにして この男とあのエプロン男とが同じ人間だとは なかなか思えなかった。だが、この男を『座長』に推した自分の判断が間違えていなかったのが嬉しかった。
「極楽が仏様だけのせかいなら、私もあまり行きたくはありません。
藤吉さんから、『極楽なんざ… 』と聞いたときは『厳つい男の強がり』だとしか思えませんでしたよ。
人間はヤッパリ『人間』のままがいいですね。人間を卒業する 『最後の修行』には参加しない方が良いかも知れませんよ。
『欲』があるから 頑張れるし、『欲』があるから 工夫もできると思います。 そこが人間の良い所ですよ。 安さん! 安さんが店をやりたいのなら、皆でヤッテ見ましょうよ。私はそう思いますが、藤吉さん 藤吉はどう思いますか?」
「ワシは『タメシに』ヤッテ見るんじゃなくて、堂々と 川向こうに対抗して、『人の欲』を梃(てこ)にして 永遠に発展する『人間達の楽座』 いや、人間達の楽しくて明るい『極楽座』を作って見せつけてやりたいと、『欲』をかいているんじゃが、これは無理なはなしかいのう!」
「… …。」
暫くして健吾が叫んだ。
「座長! これはいい! 『極楽座』と言う名前は名案ですばい! 人間だけじゃあなくて、動物もムシケラも、仲間に入れればいい! ぜーんぶ仲間にすればいい!」と健吾は目をかがやかせている。
「分かりました!」と、宗明が再び立ち上がった。
「向こう岸で『仏』に成れた人は、退屈な極楽に行けば良いとおもいます。
『欲は一切 捨てました』と宣言した偽善者は 『仏』になって極楽に潜り込めばいい。
可哀相なのは、詰らない戒律で裁かれて地獄に行く人々です。戒律を犯して、地獄に送られる人は一万人中 九千九百九十九人と聞きます。そもそも人間は『オギャアー』と生まれてから死ぬまでに 何れ程の悪事を働くだろうか? 地獄に送られて『皮を剥がされたり』『生爪を剥がされたり』しなければ償えない程の罪を一万人中 九千九百九十九人もの人達が犯すだろうか?
ウソをついたまま、『仏』の座についた 自称の『仏』は自分で地獄に降りて来て、舌を抜いてもらいたいものですよ。
偽善者だらけの川向こうの『極楽浄土』より、『欲を捨てきれないで、力及ばず』死んでしまった『正直者』達が集う川の手前の『無冠の楽座』の方がいい。
死んでしまってから言うのも何ですが、私はここで死ぬまで、『正直者の極楽座』の繁栄に命を懸けたいと思います。皆さん宜しくお願いいたします。」
と、宗明は挨拶をした。
人は話し合っているうちに 考え、知恵を出すもの。
こうして混沌の中から『支えの三人衆』の真中に宗明が座って 三途の川の手前の川原の丘の上に『楽座』の種は蒔かれた。
この種が、どんな芽を出し、どんな根を張っていくのかは まだ誰も知らない。
(完)
近い将来に、川向こうの浄土から、極楽難民の方々が…皆さん『宜しく』」
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