三途の川ぶらり旅

山口 孝一郎

その9(エプロンの奇跡)

「これは、これは ヤクザさんの衆でしたか。御見それでした。」
藤吉はヤクザに敢えて『さん』を付けて呼んだ。これは、自分がヤクザではない事を明言し、同時に多少の、『渡世人稼業』の掟を承知している事を 言外に響かせていた。
すると、ステテコは表情を一変させ、腰を落として仁義を切ろうとした。それを見た連れの小ステテコもピョコンと三歩下がって身構えた。
「ま、待ちなされや!」
藤吉は右の掌を開いてステテコの前に突き出した。
「わし等は、仁義の受け方も知らない 根っからの堅気の連れでございますよ。 それに今は、『善悪』も『損得』も『己達の往く末』も覚束ない『流浪の者』なれば、無礼を承知で仁義は お控えなすって下されや」
「いやいや! 久しぶりに『仁義』等と言う懐かしい言葉を聞きやした。何だか生まれた故郷に帰った気分でやす。 ナア『安!』 肩のあたりに力が湧いてきやしたよ。 ナア『安!』」
三歩下がって控える子分のステテコは、同調を促される度に、イチイチ 『ヤンス!』、『ヤンス!』と、頭を立てに振って同調に余念がない。どうやら、この連れのステテコは『安』と呼ばれている様だ。
確かに前世では『健康』が一番。その次は『衣・食・住』が大切なもの。だから 健康であれば『衣』に不自由なく『食』が足りて『住』に恵まれれば、とりあえずは『幸せ』なのだ。そして、さらなる『幸せ』となれば、本人の『努力』と『運』次第と言うことになる。
だから『衣食住』の満ち足りの度合が身分を分ける事も珍しくはない。
人類は知恵を得たときから競争を始めている。その結果 貧富の千差・万差の『差別』が出現している。
豊かな人の『幸せ』は『前世に積んだ 徳の賜物の顕われ』と 金持ち達は豪語してはばからない。一方で なかなか『幸せに辿り着けない』貧しい人々は『自分の過去の業(ごう)の反映だ』と諭され納得したりもする。
だが、この黄泉の世界では全く違う。
第一、黄泉の人々は生まれながらにして、全員健康だ。
だから、前世で金持達がお金で買えなかった『健康』への どうにもならない不安は無い。反対に貧乏で、お金がなくて満足に『衣食住』を買い揃えられなかった 貧乏だった人も『衣食住』への心配は無用だ。
・・・・と、なれば ここには金持ちも居ないし、貧乏人もいないと言うことになる。
此れは 敢えて言えば、『偉い人』も『偉くない人』もいないという世界だと言うこと。
まして『学歴』等という 人を測る物差し等は全く存在しない。
それでいて、『仇を討ちたい!』等と言う願望は前世から 覚める事無く脈々と人の心の中に流れ、行動を支配している。
黄泉の世界には 全く思ってもいなかった世界が存在していた。
さらに深く観察をすると、『学歴』は無用の長物となっているが、『教養』は全く色褪せをする事は無く存在している。
教養・記憶・信念・誇り・恨み・怒り・欲望・等は連綿と前世から続いている。
「仇討ちは止めた方が良いと思いますが」
突然エプロン男が口を開いた。ステテコ達も藤吉もびっくりした。
「私は今初めて 自分から、自分の意見を発表しています。僕は先刻師匠から厳しく叱咤されるまで、進んで自分から意見など発表した事は有りませんでした。」
川辺の土手で初めて出会った頃の、どことなくあたりに気を配って、『一言シャベッては 周りの反響を確かめているような』オドオドしたそぶりや、自分を大きく見せようとする、虚勢をはった口調はスッカリ消えて、エプロン男は全く別人の様に見えた。
「私の名前は、生田宗明と言います。 僕は先祖代々受け継がれて来た資産を全部食いつくして一生を終えた 哀れな恥ずかしい男です。まだ了承はされていませんが、僕はここに居る藤吉さんに弟子入りする事を決めました。」
一区切りの演説をしても 辺りの空気を確かめる以前のような様子はない。
「師匠は 『本気で生きよ! 本気でなければ意味が無い!』といいました。
僕はまだ、自分が何に向かって『本気になれば良いのか』 それすら分かりません。でも、今は『自分の命を懸けて本気になれるもの』を探し出そうと思っています。」
エプロンが自分の決意を告白する姿は『恥も外聞もなく』真剣で全くの別人に見える。と、思った瞬間、藤吉はエプロン男の腰から『エプロン』が消え去っているのに気が付いた。
『エプロン男からエプロンが消えた!』 藤吉の身体に強烈なショックがはしった。
「宗明君!自分の足元を見てみろ! 垂れ下がった腹の皮が消えてるゾ!」
宗明も自分の身体を見てオドロイタ! 宗明は『ギャーッ!』っと 声とは言えない僖鳴をあげた。 喜びの声か、オドロキの声か。
「師匠! 僕の入門を 許して呉れたんですね。有り難うございます。命を懸けてがんばります」
宗明は藤吉に走り寄り、縋って泣いた。藤吉は宗明を抱き上げた。
『これは錯覚ではない!』と確信すると、藤吉に腹の底から喜びが込み上げて来た。
ステテコ部隊も目のまえに展開した奇跡の出現に言葉を失って、立ちすくんでいる。
しばらくの間 全員が眼前の奇跡の展開に呆然としていたが、小ステテコが『パチパチ』と手を鳴らして座を仕切りはじめた。
「マア マア 皆の衆 お立ち上がり下され! ここでは間合いも悪うゴザンす。あちらの岩場に移られては どうでゴワンしょう?」
安が少し離れた奇麗な岩場に一同を案内した。藤吉達も同意して開けた岩場に移動して腰をおろした。
「ほれ、ほれ。早速の腰あげ、お聞き入れ、怖れ入谷の『鬼子母神』ありがとさんでヤンスでアリンスよ!」
小ステテコは 遊郭の呼び込みの口調をまねて、踊りながら ピョコ・ピョコと腰を上げ下げをして先導した。
安という男は なかなかのヒョウキン者、『遊郭の呼び込み』と言ったところだ。
「ささ、ズイと奥に!と、言いたい所、奥座敷はナラクの崖になっておりますので、ご用心でヤンス!」と、岩の誇りを祓いながら 軽口を叩いている。
・・・次回へ続く
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