晩酌パブの『いろは唄』

山口 孝一郎

序(晩酌の『ば』)

『晩酌』と言うものは本来 自宅で楽しむもの。
その日の仕事を無事に終えて一風呂浴びながら 我が家の『今日のやすらか』を肌で確認、安堵して、晩酌付きの膳につくものだ。
この『晩酌の膳』一昔前までは 風向きがよい時は、人生を共に歩むと誓いあった恋女房殿が侍(はべ)ってくれる事もあったと言う。
まことに 有り難いかぎりの話しだ。
だが、最近では 左様な有り難い晩酌が出来るオヤジ殿は探してみてもなかなか見当たらないと言うから、今や家庭での晩酌は 幻の存在になってしまったのかも知れない。
ウソだと思うなら、湯上がりの膳につき『お?い 一本つけてくれ!』と、言ってみれば直ぐに分かる。
子供たちの『教育資金を蓄えなければ!』と、あるいは『老後が心配だから』と、一大決心をして パートに出て懸命に働く シッカリ者の女房殿に『フザケルナ!』と強烈なパンチを貰うことは有っても
『今日も一日ご苦労様でした!』 等と、はべってもらえる有り難い余裕は 家の中の何処を探しても見当らないからだ。
サラリーマンの一平が時々顔をだす路地裏酒場は都心から小一時間。箱根に向かって延びる私鉄の小さな駅の場末に在った。
ちなみに急行や特急は次の駅で止まり、一平が乗降する電車は上級の急行や特急列車を優先して通過させるための退避ホームから発着をしていた。
丹沢の尾根を背にして拓けた この丘陵地帯は特急の停車駅を中心に『巨大都市東京』のベッドタウンが展開していた。夕刻ともなれば特急駅の駅前ロータリーからは 近在のメガ団地に向けて 満員になった巡回バスの発着が絶えない。
昭和四十年代から五十年代の後半にかけて 日本経済は敗戦後の混乱の中から、力強よく立ち上がっていた。幾つもの不況と挫折を克服しながらも エネルギーを石炭から石油に そして天然ガスへと移行しながら 高度の成長を遂げていた。
日進月歩の産業界の一方では 夕暮れ近くなると 酒を商う小さな店々でも、店のママさん達が懸命に頑張っていた。
その夜に顔を見せる(だろう?)と思われる客達の好みの肴や、郷土の旬の物や、珍品などに配慮しながら どの店も準備に忙しかった。
夕方からの小さな『商い』にしか過ぎないのだが、それぞれの店には『命を懸けて』頑張っているママさん達がいた。
命がけでと言えば大袈裟だが、小さな世界に住むママさんたちは 客達の悩みや愚痴に真剣になって耳を傾け、一緒に悩んでくれた。
そんなママさん達の姿に、客達は何時しか心の内を曝け出して 貯め込んでしまった 日頃の鬱憤(うっぷん)を晴らしていた。
話は途切れたり、また繋がったり、違う話になったりするのだが、こうして話をしていると 胸の奥に沈殿している どうしようもないストレスは無意識のうちに解消されていったのかも知れない。
馴染みの店を持つ勤め人の客達にとって、自分の郷土の珍味をそっと出してくれる店の心づかいは 郷愁を誘い、堪えられないほど嬉しいのだ。
勤め帰りの客が店の前に立つと キレイに掃き清められた入口には『お清め』の握り塩が置かれている。暖簾を潜って引き戸に手を掛けると、格子の引戸はコマメに手入れがされていてカラカラと開き、力はいらない。
「お帰り!」とママさんの元気な声。
小さな店だが 鞄を預けてカウンターの止まり木に腰を下ろすと「お疲れさま」と お通しが配膳される。この手の店では『恋愛』は存在しない。全てが『作り事』だからだ。それでも客達はこの「お帰り!」の一言に癒される。 (男と言う者はどこまでも、幼稚で単細胞なのがいい。)
だが、どんなに疲れて帰っても、自分の家庭ではこの待遇はない。勿論勤め先で世の中の理不尽をグッと呑込んで働き続ける男達は 家庭でこの様な待遇をしてもらいたいと、本気で思うほど馬鹿じゃない。
家に帰れば 一家の主(あるじ)だ まだ幼い子供達が居る。
(寄り道などしないで、サッサと家に帰ればいいのだが?)
帰って来た『主殿』がストレスに打ちのめされたまま、鬼の様な形相をしていたのでは、子供達が 『大らかに、そして逞しく』 育つ訳がない。 
だからオヤジ達は 誰にも迷惑をかけないようにと、そっと『晩酌パブ』に立ち寄り、静かに 独りで 自分の心の中に不満をブチ撒き、ブチ撒いたストレスを酒と一緒に呑込んで 本来の 元気な『頼れるアルジ殿の顔』を取り戻してから 家路に就くのだと言う。
これが晩酌パブに集う『酔いどれオヤジ』達の正当な理屈だ。
確かにこれは 酔っぱらいの自分勝手な『屁理屈』意外の何物でもないだろう。 だが、何故かこのメチャクチャな屁理屈をオヤジ達は 『正論なり!』 と、拍手で讃えて頑として譲らないのだ。
何故かといえば、
勤め先では 『それは違うだろう!』と 思いながらも 『なるほど!』と 返事をし、『それ位 自分でヤレよ!』と 心の中で言いながら 『ハイ 承知しました。預かります』と、何の抵抗も出来ずに メンドウな業務の あと処理作業を引き受けさせられて 無給のサービス残業に 追い込まれてしまっているのだ ……。
(毎日、毎日 帰ろうとする間際に言い出して コノヤロウ! と 思いながらね)
こうして貯め込んでしまった 自分ではドウしようもない鬱憤(うっぷん)を オヤジ達は酒の力を借りて洗い流しているのだ。
この 『うつ病回避』の妙薬ともいえる オヤジ軍の生活の知恵を 事情も知らず、訳も判ろうともしないで、いきなり『オヤジ達のメチャクチャな屁理屈』と決めつけて 断崖されたのでは オヤジ軍は 堪ら(たまら)ないのだ。
酔う程にこの断崖論の 『メチャクチャ』の部分と 『屁理屈』の『屁』の字を 晩酌パブの酒で洗い流して 『元気な顔で家に帰るベシ』 という この清々しい理屈こそ 時々晩酌パブを覗く儀式の 『正論なり!』 と讃えたいのだ。
晩酌パブに顔を出すオヤジ達は皆 大それた野望などは持ってはいない。
中位(ちゅうくらい)の幸せを得て家庭を守り 穏便(おんびん)な人生をおくりたいと願っているだけの 心やさしい 善良で お人好しの 小市民なのだ。
だから、生きて行く 現実の『競争社会』(個人の出世レースも含めて)では 毎日毎日 数々のつまらない『嫌がらせ』を受けたり 『不本意な結果』に(誤解されたまま 上司に まあまあまあ と)妥協を迫られたりすれば 抵抗の素振りも見せず たちまち 不本意な妥協に応じて 神経をすり減らし 疲れ果てた姿で 家路に就いているのだ。
社会人に成りたての頃はふりかかる不条理を我慢したり、自分なりに ねじ伏せたりして 無意識のうちに精イッパイ頑張っていたのだが、その様な 『我慢や理不尽』は自分だけではなかったし、何の不満もストレスも 感じる事はなかった。
だから、自分の働きや、みじめな境遇にたいして、誰かに 『あんたは偉い!』・『よく我慢しているよ!』 などと少しでも 褒めてもらいたい等と思った事は ただの一度もなかったのだ。
だが、社会人となり 会社に勤めてそろそろ 十年も経つと やがて職場では役職が付き、それなりの業務の手当を支給されて 業績の責任を負う立場に押し上げられるのだ。
業績に『責任を負う』となれば、会社で掲げられた『目標』は当然のように自分が率先して背負う『ノルマ』となり、この『ノルマ』は配下の仲間の心を一つに束ねて 協力を得なければ 到底達成し続けられるファクトではない。
小さな組織とは言え 責任者に成ってみれば 自分の職域内で想定外の『マサカ!』や『不都合』の発生は日常だし、信頼していた同僚に(意識をして?)裏切られる等 思ってもいない事態が次々に発生して『人間不信』に陥ったまま 連日、失意の帰宅の途につく事も珍しくはない。
それでも『ここがサラリーマンの頑張り所!』・『下層管理職はつらいよ』と自分に言い聞かせて せめて、自分だけでも(自分が)ひたすら仕事に励むしか道はないのだ。
・・・次回へ続く
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