晩酌パブの『いろは唄』

山口 孝一郎

飛べない てんとう虫の『と』・とんでもない仕打ちの『と』

一平がこの店の暖簾を初めて潜ったのは 三十才に成ろうかという頃だったから、もう十年はとうに過ぎている。
玄さんとは十年ほど前にこの店で知り合ったのだが、理屈っぽくて「イヤナ奴」と言う印象が残っていた。 だから時々顔を会わせても軽く会釈をする程度で、言葉を交わす事はなかった。
だが、カウンター越に先代のママさんとやり取りをする 玄さんとの会話は いつも考え方が妙に対立していて オモシロかった。
ママが『白だ!』と言うと、玄さんは きまって『いや、あれは黒でしょう』と言うのだ。 何がオモシロイかと言うと、ママは自分の考えを主張して絶対に曲げないのだ。
その原因はママは 他人の話しは全く聞かないからだ。(玄さんに会うまでは) だから 自分の意見を曲げる事は 一度も なかったと言う。
だが玄さんは 途中で玄さん特有の奇妙な 猫騙し(ねこだまし)のような話しをポロリと出して 頑固なママの考えを一時(いっとき)封印してしまうのだ。
例えば 『モシモ 一日が夕方から始まったら? ママは如何する?』
等と、今まで誰も考えても見なかった様な とんでもない事を突然言い出して、他人の話しを全く聞こうとしないママの考えを 一瞬にして何処かに飛ばしてしまうのだ。
ある時、玄さんが いきなり
「ママ 『飛べないテントウ虫』って知ってる?」と言ったことがあった。
「何? それ! 『テントウ虫』ってあの 七星(ななほし)とか、言う?」と、ママが確認。
「そう そう! それ。 畑で発生する 厄介な害虫のアブラ虫とかを食べるテントウ虫だよ。」
「それが どうしたのよ? どうして飛べないのよ。」
「実はね、これは最近聞いた話しだけど、小松菜の畑でね、収穫まえになると 大量のアブラムシが発生して葉っぱを食い荒らして、小松菜が商品にならないんだってさ!」
「ア、そう。 だったら、殺虫剤を散布すれば 良いでしょうに!」と、ママ。
「ん! まあ そうだけど、広範囲に殺虫剤を撒くと 蜜蜂などの昆虫も一気にヤラレてしまうんだよね。川の中のホタルやトンボの子供のヤゴまでもさ。それに野菜だから『生(なま)』で食べる人も いるかも知れないし ね。」
「あ、そうか そうだよね。」 ママもめずらしく話しを聞いている。
「だから、アブラ虫を好んで食べるテントウ虫を百匹ほど畑に連れて来たんだって。これって 良い考えだ と思わない?」
「そしたら ドウなったのよ? 良い考えじゃあないの? それでウマク行ったの?」
ママはカウンターの向こうで身を乗り出している。珍しく 真剣に聞いている様子だ。
「玄さん! 早く言いなさいよ!」
「うん。 うまく行ったけど、ね。 ダメだったんだって!」
「なにそれ? どうして うまく行ったのが、急にダメなのよ!」とママ。
「テントウ虫は すごい勢いでアブラ虫を食べてくれたから 大成功だったんだけど、腹いっぱいになると、何処かに飛んで行ってしまったんだってさ。」
「じゃあ ダメじゃん!」とママ。
「そうなんだよね。だから、『うまく行ったけど、ダメだったんだ』よ。」
「そうだったんだ。分かった! だから、羽を切って飛べなくしちゃったんだ!ネ」とママ。
「ちがうよ! 羽を切ってしまったら、死んじまうよ。」
「…… ? そうだよね。 …… でも、玄さん さっき『飛べないテントウ虫』って言ったよね。だから、テントウ虫は飛べないけど、まだ生きてはいるんだよね。」
 ママは珍しく他人の話しを真剣に聞いて 突っ込みを入れてきた。
「そうだよ、生きてるよ。 接着剤で羽を固定したんだって さ。」
「へ〜 そうかあ。 でもそのテントウ虫って 可哀相。せっかく役に立ったのにネ。」
と、ママは肩を落としている。
「俺は なかなか良い考えだったと思うよ。テントウ虫は好きなアブラ虫をたらふく食えたし、小松菜の害虫被害は なくなった事だろうしさ。」
「いい考えじゃあナイヨ! そんなの。 そんな残酷な事しちゃってサ。 それって『恩をアダで返す』って事じゃあないの! それって とんでもない仕打ちだわ!
そんな事をしていたら 絶対バチがあたるよ キット!」
と、言う具合に 玄さんはすっかり相手を自分の土俵に引きずり込んでしまうのだ。
・・・次回へ続く
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