晩酌パブの『いろは唄』

山口 孝一郎

(その8)好きな事の『す』・スッテンテンの『ス』

「ドウだろう一平ちゃん。俺達もそろそろ 行動を起こしてはどうだろウか?」
「『行動』ってなんだ? 何の行動をおこすんだ? デモでもやるってのか」
「いや、そんな事はしないよ。一平ちゃんは『老後が心配だ』って言ってたけどさ、世の中全体から見れば、俺達はまだ定年前の若蔵(わかぞう)だぜ。

 年寄りにはこれから間違いなく成るんだけど、どうせ爺様になるんなら、そろそろ 格好のいい爺様になる事を目指して 一平ちゃんと二人で行動を興すってのは どうだろうか?って 今日は提案したいんだよね」

「それって格好いいじゃん。格好いい爺チャンってお金持ちでしょう?」
 若いママの物差しで測ればどうやら『格好いい爺チャン』は金持ちでなければダメのようだ。
「ほおら 玄さん。歳をとればヤッパリお金がなきゃあ 話にならないんだよ。
見窄しく(みすぼらしく)ては 格好なんかつかないんだよ」 

「一平ちゃん そんなに一気に答えを出さないでくれよ。
今は『歳をとる事は逃れられない』ならば せめて俺達は『格好の良い高齢者に成ろう!』と言う老後の計画話を始めたところじゃあないか。うまい酒を舐めながらさ。
『最高の格好良い生き方は死ぬまで健康で生き続けること』と言う話を聞いた事があるよ。その時は 成る程と思ったけど、よく考えると…。
『格好良く生きる』これって 本当に難しい課題だよネ」
「……」
「一平ちゃんは時々『俺は格好良く生きるなんて事より、老後の金を心配してるんだ』って言っているけど、一平ちゃんは死ぬまで年金を受け取れることだし、家は自分の家だし、その気になれば何の心配も無く『格好良く生きられる』よね。恵まれた羨ましい人だよ。
 言うなれば『高齢者の優等生』だな。」

「冗談じゃないよ。玄さん そりゃあ買い被りだよ。俺はまだ住宅ローンの返済のまっただ中なんだぜ。
 計算していると 将来の『楽隠居』の夢は破れ 最近ではささやかな趣味を嗜むことさえ覚束ないだろうと観念してるんだよ。
それがあまりにも情け無くてさ 人知れず心の中は ボヤイテばかりだよ。
 だから…。『うつ病予防』で こうして『ヤケ酒』を食らっているんだぜ! 今の俺にとっては、玄さんの言う『格好良く生きる』なんてことは『夢の又夢』最早酒呑みがヨッパラッタ時の『叶わぬ戯れ言』だね」

「一平ちゃん それはダメだよ。それは『格好悪く生きる』見本だよ。
 俺達は若い頃 酒の勢いとは言え、数々の世の中の不平等や不満をブチ撒き、偉そうに 自分の主張を叫んでいたんじゃあないか。
 だから、歳をとっても 俺達は責めてあの頃の気概だけは貫かないと 無責任なダメ爺(ダメじじい)に成ってしまうとは 思わないかい? 」

「玄さん そりゃあ『理想』って言うもんだぜ!『若い時 ○○って言ったから歳をとったから、責任をとれ!』ってのは ダメだよ。若者は何も言えなく成っちまうじゃあないか! 若い時は『若い時』だよ。」
「そうか。そうだよな でも、若い時の勢いを亡くしたら 心も勢いを亡くしてさ、 脳ミソも衰え 身体の老化も 早まってしまうんじゃあないのかね? まあこれは生き方の話しだから、ね。」
「……。」
「若い頃 言いたい事を言っておいて、いまになって お金が心配だからって、言いたい事も言わないでさ 死ぬ日までズ〜ッと 死んだフリをして過ごそうって言うのかい? それは戴けないよ!」
「仕方が無いよ。ジタンダ踏んだって 金が無いんだから 俺は今 スッテンテンの『ス』なんだからな。」
「だったら スッテンテンの『ス』の『ス』を 凄いの『ス』・すばらしいの『ス』にすれば、楽しく 死ねる と思うけどね。」
「バカバカしい! オイラには言葉遊びをする程の『心のゆとり』はナイね。」

「お金が足りないんだったら、働けばいいんじゃあないの?」
「働く? ドウやって? 今の俺には気休めの情けなら 無用だぜ。腹がたつだけだから。」
「気休めなんかじゃないよ。『金が足りないなら、稼げば良いんだよ。』自分に出来る事をして 働けば良いだろうと 言ってるんだよ!」
「……、そうか、何か資格でも取って働けってことかい?」
「そう それもアリだよね」
「ん?……。でも、玄さんよう 俺は会社の事務方の人間だよ。会社を退職してから 何が出来ると思ってんの?
 俺はウチノ会社の予算のまとめと 経理の帳簿に『間違いはないか?』と、報告書に目を通すこと位しか出来ないんだよ。
 しかも 上から言われる通りにね。とにかく カネになるような事は何一つ出来ないんだよ。技術畠の人間ならいざ知らずよゥ……。」

「違う、違う、全然チガウよ 一平ちゃん。
自分が働かないのを他人の所為や自分の過去のせいにしちゃあイケナイよ。
 俺等には脳みそを含めて五体ってもんが有るんだからサ。この脳みそを使って 何か始めるんだよ。本気になってさ。
一から出直す覚悟をすれば何だって出来るよ。『恥ずかしい事』なんか何も無いんだよ。自分が何才まで生きるかは 誰にも判らないんだけど、生きている間じゅう働いたっていいじゃないか! 時間はタップリあるよ。自分が楽しければだけどね」
「そうかい。でも、おれは嫌だね」
「どうして?」
「だって俺は若い時から ズ〜ッと今の会社で働いてきたんだぜ。それを今更 定年になって好きな事もしないでよう、又一から本気になって働きだすなんて、玄さんこそ どうかしちゃったんじゃないのか? 
『若くなれっ!』たって若くは成れないんだぜ 人間は! これはいつも玄さんが言ってる『道理』だからな」

「あ、そう! そうなのかい。一平ちゃんはそんなに働くのが嫌いなんだ」
「そうだよ。当たり前じゃあねえか」
「じゃあ一平ちゃんは定年後は何をする積もりなんだい?」
「『何をする積もり』ったって『好きな事を』して暮らすんだよ」
「だから それだよ一平ちゃん。 俺が言ってるのはその『好きな事を』仕事にすればいいと言ってるんだよ 好きな事の『ス』・ 好きな人の『ス』だよ」
「えッ。玄さん 又詭弁で俺を煙に巻くのか?」

「煙になんか巻かないよ。本気になって自分の好きな事をやればいいと 言ってるんだよ。それが本当の自分の天性の仕事なんだからさ。
しかもそれがお金を稼いでくれれば、有り難い話しじゃあないのかなあ」
「そりゃあ有り難いに決まってらあね。でも俺には何の才能も無いし、そんな有り難い物は持ち合わせちゃあ いないやね。俺にとっちゃあそれこそ本物の『夢のまた夢』の話しだぜ」と、
一平は やけゼリフとも 捨てゼリフとも聞こえる言葉をはくと 立て続けに盃をほした。
・・・次回へ続く
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