晩酌パブの『いろは唄』(完結編)

山口 孝一郎

不老不死の『ふ』・ 不確実の『ふ』・ 不思議の『ふ』

 玄さんの口がだんだん滑らかになってきた。
「漢方薬だって 何千年もの間 研究を重ねた先人達の記録があるよ。二千年以上前に秦の始皇帝が『不老不死』の薬を求めて家来に世界中を探させたと言う話だってあるんだからよ」

「エッ! 玄さんそんな話が有るんかい?」
「有るよ。有名な話だよ」
「ヘ〜。で、その探しに行った『不老不死』の薬は有ったのかい」
「有ったんだよ」
「玄さん マジなの?『不老』って『老人にならない』って事でしょう?
『不死』って『死なない』って事でしょう? そんな薬 ホントに有ったの? 何処に有ったの?」ママも真剣な顔で乗って来た。

「日本にあったんだよ 女の人は何時(いつ)までも若々しくて、奇麗だし」
「エ〜ッ? それはウソだろう! 本当に日本に? 玄さん口からでまかせに言ってるんじゃあないだろうな」
「当たり前だよ そんなこと。デタラメ言っても仕方がないんだからよ」
「ホントかなあ?じゃあ 日本の何処に有ったんだよ!」

「でも、それは絶対ウソよね。だってさ、秦の何タラって言う王様は二千年経った今でも、何処かで生きてるの? だって『不老不死』だからさ」
「秦の始皇帝は五十二才で死んじゃったんだよ」
「ほ〜ら、出たよ! その薬 ヤッパ『不老不死』じゃあなかった証拠じゃん!」
「……ん、そうだよね。でも 少し違うんだよな」
「やだ 玄さん、何が少しなのよ。大違いじゃあないのよ! だって、その人死んじゃったんでしょう? 玄さん往生際悪いよ。その薬『不老不死』とは大違いの、ウソッパチのニセ薬だよ。キット!」

「違うんだよ。始皇帝は日本で採れた『不老不死の薬草』を手にする前に死んじゃったんだよ」
「え〜っ。何で死んじゃったの? 戦争でもはじまったの?」
「違う! 『不老不死』の薬を飲んで死んじゃったんだよ」
「なにそれ、やっぱりネ。おかしいと思ったよ。ドウ言うことなの?」

「秦の始皇帝は何十年もかけて大勢の家来を『不老不死』の薬を求めて世界中に派遣していたんだよ。
 或る日 そのうちの一人が『不老不死』の水薬を持ち帰って献上したんだよ。
その水薬は『小さな岩石の凹みの中でゆらゆらと怪しく揺れて光っていたと、書いてあるんだよ。
 手のひらに零(こぼ)してみると、小さな玉となって転がり、小さな玉同士がぶっつかると、また一つの玉となって揺れたんだね。
 転げ落ちても、ゴミや塵に融合することはないんだよ。紙ですくって岩の凹みに戻すと、また一つにまとまって怪しい輝きを放っていた』んだと、ハッキリ記録に残っているんだよね。」

「へえ〜。それから どうなったの」
「持ち帰った家来に向かって『良くやった。褒美を取らす』と言ったかどうだか分からないけど、始皇帝は光を放つ水を盃に移すと グイッと一気に飲み干したと伝えられているよ。」

「それで?」
「それで、パタン・キュウ。と死んじゃったんだよ。
もう分かったと思うけど、この『水薬』は猛毒の水銀だったんだね。『忽ち絶命』という記録が有ると聞いているよ」
「へ〜ェ。本当?」
「本当かどうかは、俺は知らないよ。でもチャントした記録が残っているよ」

「じゃあ、日本の『不老長寿』の薬は如何なったのよ。何処に有ったのよ?」
「これもハッキリと記録が残ってるよ。九州の佐賀県にあったんだよ。この家来が
始皇帝のもとを出発する様子も確りと中国の歴史の書物に記録されて残っているよ」
「玄さん、ホントだろうね。もう『本当かどうかは、俺は知らないよ』とか
またもや『パタン。と死んじゃいました』なんて言わせないよ」
 この後、玄さんは自分の朧げな記憶をたどりながら 見てきたかの様に くわしい説明を始めた。

「この家来は『叙福』と言う名前の仙人だったんだが、始皇帝から若い男女三千人と、大量の五穀の種を賜って、船出したんだよ。その様子は中国で最も信頼されている古代史の記録『史記』と言う本に細かく記載されているよ。
そして、途中この船団が現在は韓国になっている済州島に立寄って、物資を補給した事までは 他の書物にも同じ様な記録が有るから、間違いないよ」
「それからどう成ったの? 私、こんな話大好き」

「それからかい。それから先は俺も不案内だけど、いろんな説があるよ」
「じゃあ『不老不死の薬』はヤッパリ無かったんでしょう?」
「いや、有ったんだけど、この『叙福伝説』は日本中のあちこちで伝えられていて『仙人叙福』の石像や、上陸地点の石碑などが 青森県から、鹿児島まで あちこちに点在してるんだよね」
「何よ それ? あやしいジャン! やっぱりね。そう来ると思ったよ。」

「これは日本が縄文時代から一気に弥生時代に移行した(不思議な現象)時代と ピッタリ合致していて、日本人が狩猟民族から 農耕民族に移行した史実などから推察された結論だけど、五穀などの稲作の技術をもたらしたのはどうやら この『叙福』の船団らしいんだよ。
 叙福船団は 済州島を出てまもなく嵐に遭遇してるんだよね。船団は激しい風にあおられ、散々になって 日本海をさまよい やがて北は青森県から南は九州の各所に漂着したと考えられているんだよ。
 これが日本の各所で一斉に稲作が始まった不思議を解く鍵、と言われているんだよね。」

「玄さん 稲作は分かったけど、不老不死の薬はどうなったのよ?」
「『不老不死の薬』の薬草は佐賀県の金立山(きんりゅうざん=鳳来山によく似た山)に有ったんだよ。船団の母船は有明海に迷い込み 北上して佐賀県の諸富町のあたりに漂着したんだが、潮が引いて干潟(ひがた)の泥にはまって身動きが取れなくなってしまったと書いてあるよ。
 有明海から金立山に辿る途中に 今でも『千布堤(ちぶのでー)』と呼ばれている 古来からの土手が有るのだがね。
この土手は 足元が泥でぬかるんで歩けないから、上陸するにあたって 命の次に大事にしていた『貴重な布を千反も敷き詰めて その上を歩いて上陸した。』と言う伝説があるよ。
この土手は『千布堤』という地名として今も残っているよ。
 この伝説でこの船団が 貴重な布を千反も持参していた事から、『叙福船団』の本隊であった証とされているんだよね。」
「へ〜。玄さんは 何でも知ってるんだね。」

「そして、いよいよ『不老長寿』の薬草だが、薬草の本体は フロフキと言う蕗(ふき)で、この蕗は今でも金立山の山裾に自生しているよ。良く乾燥させて煎じて飲むと、解熱効果があると言われているんだがね。」
「なんだい! それって ただの熱冷ましじゃないか」と、一平。
「そうだよね それは、そうかも知れないし、そうじゃあ無いかもしれないよ。」

 そこへ、三人連れの新しい客が入って来た。
ママが「いらっしゃい!」と カウンターを離れるとー。

「ところで 一平ちゃん。本気になって『癌消滅酒』造りに挑戦するんなら、明日から相当忙しくなりそうだけど、どうするの? 本気でヤルのかい?」
「あったりまえジャアね〜か! 本気の本気で挑戦だよ! でも、失敗すると恥ずかしいからさ、誰にも言わずに そ〜っと始めるよ」

「そんな弱腰じゃあダメだよ! 一平ちゃん。本気の本気だろう?。
真似されない様にそ〜っと やるのは結構だけどさ『失敗すると…』は いただけないよ。これは多分 命懸けの研究になるよ! 小さな現象も絶対に見逃せない研究の積み重ねだからな。研究の途中で『失敗するかも…?』なんて事は コレッポッチも考えたら『負け』だからよ。失敗は成功のヒントだから!」

「では、『癌消滅酒』の出現を祈って、小さな声で『ガンガン呑んで ガンを消そう!』 カ・ン・パ・イ!」・「乾杯!」・「頑張れ 一平!」
この夜 一平も玄さんも 心の中に小さな充実感と ほのかな希望を憶えながら家路についた。
 ベッドタウンの場末に生きる この小さな晩酌パブも 新年を迎える松飾りを整えて ささやかながらも、今年も繁昌させてもらった世間様に感謝をして 一年間の営業を終えた。

 そして十数年、大二次世界大戦に敗北した焼土の中で幼少期を過ごし『昭和』・『平成』の世を懸命に駆け抜けてきた一平にも 玄さんにも 今は、『停年』という出来事すらも もはや遠い昔の『思い出』になってしまっているに違いない。玄さんも一平も 二人とも それぞれの停年を境に、この晩酌パブで姿を見ることはない。面々の健やかな『ボヤキ』と健康を祈念する。

 平成三十一年(平成最後の年)元旦
『癌消滅酒』誕生の朗報は いまだに聞こえては来ない。一平は未だ研究の途上で奮闘中だと推察される。

同士一平!『死ぬまでがんばれ!』                完
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