三途の川ぶらり旅

山口 孝一郎

その7(石工の叫び)

藤吉も親方の下で十数年間に渉る石工の『技』を仕込まれると、石工の『職人』を名乗る事を許されて、住込みの修行を終え、独立の資金とも言える『祝儀』を貰って独立を果たしていた。
『独立をした』と言う事は、『今後の衣食住のすべてを自分で賄わなければならない』と言うことだ。
先月まで住込みの『手元小僧』が『今月から職人に成りました。宜しくお引き立て下さい!』と独立を宣言しても、金を払って石像を注文してくれる客はいない。だから、この世界では
『お礼奉公』の名で、三年〜五年は安い賃金で親方の元で働いている。
藤吉は、親方の家を出て駅の近くに部屋を借り、親方の『細工場』で出来高払いの契約で働く事を許された。
職人になってから、親方は石の刻み方や、道具の使い方など彫刻の技術には何の口出しもしなくなった。その替わりに、『自分の心を彫れ!』・『もっと本を読め!』・『物事をもっと深く考えよ!』・ 『もっと勉強をしろ!』と口癖の様に呟くようになった。
親方は藤吉には ことの外厳しかった。
職人に成りタテの頃は注文の品を掘り上げて観てもらうと、『何だ?この石コロは!』とこき下ろされて受け取ってもらえず、親方から材料の石を買って彫り直す事もあった。
愚痴をこぼす仲間もなく、出口を見出せないで独りで、悶々とする事も有った。
だが、その様な時には 決まってこの街を巣立って行った『小僧』の頃の仲間達を想い出した。
『あいつ等もキット頑張っている』と思うだけで、どんなに辛い仕事にも『これも修行』と思い直して 一切の手抜きナシでガムシャラに頑張れた。
そして四十年。巣立って行った仲間達の見事な開花ぶりを耳にするようになった。一人は『建設石材の加工問屋』に・もう一人は『城壁、城濠の石組修復のエキスパート』に・ さらにもう一人は『世界の石材を扱う貿易商』にと。そして、我が藤吉は石碑に人の憶いを添える『石材彫刻家』に伸し上がっていた。
どのような縁で石を扱う世界に身を置いたのか、藤吉の仲間達は全員が『石』を愛し、『石』の美しさに命を燃やし、『石』の頑固さと戦って成長し、『石』のことしか知らないが、全員が『石』のおかげで家族を養い、会社を率いるまでになっていっている。
とにかく『石』は頑固だ。石ほど頑固な物はない。その頑固な石と対峙して仕事をしていると、手抜きやマヤカシが如何に恥ずかしい行為なのかを、思い知らされる。おそらく百年経っても千年経っても『作品』に仕込まれた手抜きの傷は消えず、作者のマヤカシの罪を伝えて、永遠に消えることはないからだ。
藤吉は晩年視力が覚束なくなってからは、人間の心の底にながれる『純粋な願いと、思いやりの暖かい心』に敏感に反応する様になって行った。
依頼主と対座して、静かに話しを聴き 相手の心の中に流れている『無意識のうちに流れる情念』を読み取る事を覚えると、作風は一変した。
写真や資料を渡されて、石像の依頼を受けても、依頼主が石像になる人へよせる『情念』が読み取れないうちは、何の構想も浮かばず、石を選ぶことすら出来ない様になってしまった。
それまでの藤吉は、依頼と同時に石を選び、資料のままに石に鑿を当てた。それでも、藤吉の鑿捌きが産み出す造形は絶賛されていた。
人の世は『正』と『邪』とが入り交じり、同時に流れて行く。
『繁栄』と『衰退』・『自負』と『落胆』・『歓喜』と『慙愧』等々、相反する物を織りなして一時(いっとき)の休みも無く流れていく。そして何万年と言う時間と空間を堆積させ、人類の文化と遺産を残し未来に向かって進化を続けている。
藤吉は石に人の想いを刻み込もうと考える様になってからは作品をまとめあげる事が出来なくなり、生活は困窮した。
それは、藤吉が石を敬う真面目な『畏敬の念』が許さなかったのかもしれない。
自然界には人間がどんなに願っても、命懸けで助けを求めても、何一つ叶わない 厳しい現実が有るからだ。
強大なスケールの大自然の前に立った時、人間に何が出来ると言うのか!
それなのに、人間ごときの者が 何億年もの時空を堆積して出現した岩石を『自分の想い出』等と言う小さな願望を満たすために、勝手に切り取って勝手に『勝手に姿を変えて』も良いものだろうか?
藤吉は『依頼品』と『自然石』との間(はざま)で何ヶ月も悩み抜いた。
地球に生きていると言う現実と、自分の限りある僅かな寿命とを考えると、あまりにも小さな存在 あまりにも短い自分の寿命の事実。
『あまりにも小さな存在』とは言え、生きている者の『願い』や『祈り』や『嘆き』などと言う『命の叫び』を『無視してもいい』とは誰も言えないはず。どんなに小さくても、大自然の一員なのだから。
無量大数とも言える数の命が僅かな時間に己の生老病死・喜怒哀楽を織りなして『祈り』・『喜び』・『叫び』ながら、消滅していく。
この一瞬に輝いて消滅する『命の叫び』を残したい。少なくとも数百年の間は姿を変えないであろう『石』の力を借りれば『生きた証し』を暫くは残せる。
やがて、藤吉はこの仕事に巡り会えた自分を再び『果報者』だと感謝した。
この『命の叫び』こそが 追いつめられた人間の『願い』であり『祈り』であり『嘆き』であるのだが、この『情念』はそれが限界にまで高揚をした時に様々な形相と成って、無意識のうちにその人の姿や表情となって現れる。この極限の表情を小手先の技術やマヤカシの物まね技等で表現する事はとても覚束ない。それに、人間の命が叫ぶ『助けや祈り』の姿を簡単に彫りあげられるほど、石は柔らかくはないし情けもかけてはくれない。
藤吉が彫りあげたい理想の石像は、人間が叫び尽くして辿り着いた『祈り』の姿の中にあった。
だから、藤吉の石像はローマやベネチアの広場に立ち並ぶ大理石の石像とは根本的に違っていた。ビーナスやネプチューンの像の様な人体のバランスを誇る美しさは無かったが、壮絶な人間の『叫び』と『執念』が見えた。
『叫び』が激しければ激しい程『祈り』は強くなり『我が身を捨てても!』と言う『捨身命(しゃくしんみょう)』の祈りとなる。
この時藤吉はついに『祈る者の姿』に辿り着き、鑿を手に、狂人よろしく石に立ち向かうのだが、藤吉の後ろ姿は地蔵様を彫る時には地蔵様に、童子・観音・夜叉を彫る時には、童子・観音・夜叉に見えたと言われた。そして彫り上がった石像は、見事に依頼者の『祈り』と『叫び』を代弁していた。
藤吉は時間を忘れ、月日を忘れて『石』に向かえる仕事を得て、『何と楽しい一生だった事か!』と自分の人生を振り返り、感謝している。
だから、閻魔様の裁判も、地獄も怖いとは思わないし、むしろ『地獄の様子も観れるものなら、見てみたい』とさえ思うのだ。
なぜなら、地獄を探索すれば、人間の倫理を糾す材料が其処等中に転がっていそうだったからだ。
エプロン男は『地獄なんて、トンデモナイ!』と怯えている。
でも、この三途の川の世界では、針の山で針が刺さっても 多分痛くはないはず。舌を抜かれても、爪を剥がされても痛いはずはない。
となれば藤吉は、四十九日の閻魔様の裁判に遅刻をして叱咤されても、痛くも痒くもない。それよりも、まだやり残している事があるからだった。
それは、目の前に流れている川の向こう岸に梁を仕掛けて衣服を剥ぎ取っている『奪衣婆』の婆(ばば)様を捕まえて『一方的な勝手な振舞い』にモンクの一つも噛ませてやりたいと思っているからだった。
「お前さんも、あまりビクビクしないで、自分に自信を持って旅立ちなされや。皆初めて観る世界に戸惑っているんだからよう!」
藤吉は立ち上がって お尻のホコリを叩き落とした。
・・・次回へ続く
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