九重・大船山登山の記憶(タイムスリップ)
(昭和33年8月6日〜7日)

 
平成29年11月2日 石井ト
過日、10月25日だが、佐賀で行われた、佐高卒後60周年記念同窓会の際お会いした西本さんから、昔の写真を託されました。
それは、1968年8月6日〜7日のメモ書きが記された写真の写しである。
見れば、「久住山頂」とか「大船山山頂」とかで撮影した写真で、びっくりしたのは、私の妹のようなのが写っている写真だったこと。
全然記憶にない事だったが、写真には小生が写り、おまけに妹まで写っているのであるから、疑いようもない事実であると思わざるを得なかった。 西本さんに、小生記憶がない、と訴えてみたが、彼女のメモ書きには小生の妹との書き込みがあるし、 ホームページの「タイムスリップ」の記事を見て、それと同様な写真であるから、出すべきだと主張されたのである。
それで、西本さんに、何か文章を書いてとお願いしてみたが、駄目とのことで、小生が短いコメントをつけて掲載することにした次第である。
写真には、既に鬼籍に入った友や長い間お会いしてない友も写っている。
記憶が飛んでるので、コメントは浮かばないが、写真だけは正直に過ぎにし昔の出来事を語っている。 そんな写真など、よかったら、ご覧下さい。
 
その1
1968年8月6日 久住山頂にて撮影(写真提供:西本さん)
1968年と言えば昭和33年、卒後2年目の夏、ということになる。
前列:左から、馬場、坂井、野田、西本さん
立姿:左から、妹、私、吉武さん(旧姓)、宮田さん(旧姓)、
永渕さん(旧姓)、村岡、伊東君、峰松さん(旧姓)
以上総勢12名である。
村岡君と峰松さんの間にいる黒メガネの男、誰だろうと思いましたが、西本さんから伊東(摩)君と教えてもらいました。
 
その2
1968年8月6日撮影(写真提供:西本さん)
久住から下山するときか登るときのものかは分からないが、草の上で休んでるようだ。11名が写っている。誰が写したのだろう?
 
その3
1968年8月6日撮影(写真提供:西本さん)
6日の日は筋湯温泉の山小屋で自炊したようだ。薪の束が写ってる。 写ってるのは左から、私、馬場、伊東君
 
その4
1958年8月7日「大船山山頂」と西本さんのコメントが記されている写真だ。(写真提供:西本さん)
写っているのは、左から、妹、吉武さん(旧姓)、峰松さん(旧姓)、西本さん
なんでこんなところに妹が写っているのか全然わからない。 だが、書いてる内に少しだけ思い出したことがある。 それは、小生、写真機を持って行ったかも知れないという記憶だ。 叔父がキャノンの一眼レフカメラを持っていて、それを借りてこの方向に行った記憶がある。 それがこの久住・大船山登山だったかどうかは憶えてない。 でも、キャノンを借りられて嬉しかったことは憶えている。そして悲惨な結果も。
その悲惨な結果というのは、何枚か写真を撮ったが、帰って調べたら、何も写ってなかったという思い出だ。 原因は、慣れない操作で、フィルムのセットの仕方が拙くフィルムが回ってなかったのだ。 張り切っていただけにがっかりして、胸にしまって誰にも言わなかった。 恰好悪い時は言わないで黙んまりを決め込むのが癖だから。でも告白するよ!
昔のフィルムカメラは、フィルムロールからフィルムの先端を引っ張り出し、カメラ側の巻取器にその先端を噛ませて固定する必要があったが、 その固定作業が不慣れの所為で甘かったため、巻取りの際、噛ませた部分が外れてフィルムが空回りしたと推定した。 何とも阿保な話で、情けなくてとても告白する気にはなれなかったのだ。・・・60年ぶりの懐かしい心の傷との再会である。
最後に総括すれば、(1)この旅行、すっかり忘れていたので、新発見だった。 そして、(2)妹が同行したこともすっかり忘れていたので、これもまた新発見だった。 (3)そんな程度の頭脳でよくまあこの歳までやってこれたものだというのが、3つ目の発見。 更に、(4)人間は、嫌な思い出は忘れてしまい易いというのが4つ目の発見である。
西本さん、新発見の証拠写真をありがとう。今度、佐賀に行くときは、妹に見せようと思います。果たして憶えているだろうか? 若し憶えていたら、兄である私より優秀ってことになる。・・・憶えていたら、本庄うなぎのうな丼をご馳しよう。忘れていたらうな重だ。 ・・・どちらが妹として相応しいかで決めようと思うのだ。合理的な私らしく。
 
最後に問題の叔父のキャノン一眼レフカメラの写真を掲げます。
その後、叔父からもらって今に至った写真機です。この記事を書くために、物置の中から引っ張り出してきました。 シャターを押したら、バシャ!という小気味よい音がして、シャッターは動きました。 でも、もう巻取りノブの上面あたりには錆が出ています。 このカメラは、ドイツのライカのコピーとして昭和20年後半辺りに製作したもののようです。 古いし、もう記念品のようなもの、兄貴のようだった叔父とドジな私のね。
 
 
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