思い出の「別れのブルース」

石井俊雄
今月20日、音楽葬は行われたそうだ。 やっぱり本当だったのだ!・・・とても残念。
せめての慰めに、残してくれた歌を聴いて彼女を偲ぼう。 曲名はカラオケで歌ってくれた「別れのブルース」。
小生、カラオケで歌ってくれと頼んだことは何回かあったけど、その度に応じてもらえず、半ば諦めていたところ、たまたま、駄目元と頼んでみたら、
「いいわよ」
と応じてくれたので、むしろ驚いた。怪訝な顔を察したのか、
「母が好きだったのよ」
と言って歌ってくれたのが「別れのブルース」。
後にも先にもカラオケで歌ってくれたのは唯一これだけ。少なくも私の知る限りは。今にして思えば残してくれて有難い。
録音は、平成16年2月2日に銀座ライオンを下見したときデジカメで録画したものです。 今、聴いてみました。いや!流石の歌声です。
「別れのブルース」は、1937年(昭和12年)に発表された日本の流行歌。 作詞は藤浦洸、作曲は服部良一。淡谷のり子の歌唱により、日本コロムビアから レコード化され、大流行しました。
録画されてるのは、この曲の2番。
腕に錨の刺青彫って
やくざに強いマドロスの
お国言葉は違っていても
恋には弱いすすり泣き
・・・
二度と逢えない心と心
踊るブルースの切なさよ
と歌うところです。
何故2番からしか入ってないのかといえば、この曲をセットしてスタートさせたけど、 キーやヴォリュームなどの微調整をしてる内に一番が済んでしまったというわけです。 今から思うと、最初からやり直せばよかったと悔やまれます。
聴けば、淡谷のり子の声と了チャンの声、似ています。肉厚なところが。
淡谷のり子の原曲は、彼女が30歳の時、服部良一に口説かれて歌いました。アルトで。彼女はソプラノだったのにです。 少し飛び跳ねるように歌っていますね、ズーズー弁で。彼女の出身地が青森だから。 「踊るブルースの切なさよ」のところは「ブルース」が、「ブルーズ」になるのだよね。 九州もんにとっては、???なのだけど、了ちゃんはちゃんと「ブルース」と歌ってくれてます。 更に、ブルースらしくしっとりとも。
了ちゃんがどのくらい淡谷のり子のこの曲を聴いていたかは知らない。でも、お母上のお好きな曲が「別れのブルース」でよかった。お礼を言いたい。 それを受け継いでくれた了ちゃんにも。我々に偲ぶ縁を残してくれたから。
バイバイ、ご冥福を祈ります。
 
 
思い出の「別れのブルース」は、1月ほど前、佐高八期会掲示板で、この映像の存在を明らかにしたところ、 HPに掲載して欲しいとのリクエストもあったので、 ご遺族にご了承頂いて掲載します。思い出の「別れのブルース」は、ここをクリックしてください。
 
 
ところで皆さん、NHKのテレビ番組で「SONGS」って知ってますか?
毎週土曜日にやってるようですが、10月12日の土曜日、そこで五輪真弓の「恋人よ」をやっているのを偶然見かけました。 慌てて録画したりしましたが、彼女は今62歳、そんな歳を感じさせない歌唱力で「恋人よ」を歌ってました。
五輪がデビューした当時のプロデューサー木田高介が、その年の春に交通事故死した。 木田の葬儀の際に、葬儀に参列した五輪真弓が木田の妻の悲嘆ぶりを目の当たりにし、それを基にして作った曲が彼女の代表作となる「恋人よ」であった。
番組では、その突然の死にショックを受け、究極の別れの曲を書こうと決心し、「恋人よ」を書こうと思ったと語っていた。 だから「恋人よ」は、突然の別れという哀しみをテーマにした曲なのだ。恋人たちだけの専売品ではない。 友人や家族、誰でもが、避けることができない突然の別れという哀しみを歌った曲だと思う。
それで、この曲を聴いて、了ちゃんとの突然の別れを悼もうと思う。ここをクリックしてくれ給え
 
 
思い出の「別れのブルース」を聴いていると、元気がもらえるようだけど、五輪真弓の「恋人よ」を聴いていると、 了ちゃんや井上のことを思い出し、涙が流れてくる。 私も、年をとったようだ。
 
 
五輪真弓について少し書き足そう。
番組では、「彼女は五島の出身で、お父上は五島列島の久賀島の五輪地区の教会でオルガンを弾かれていたという。 そのお父上が買ってくれたギターがきっかけでフォークソングの世界を知り、高校生の頃はジョーン・バエズのドナドナドナドナなどカバーしていたそうだ。」
本人は、教会音楽の影響を受けたとは言わなかったが、教会オルガンを聴いて、更に、賛美歌を聴いた幼いころの経験が、影響しないはずがない。 「恋人よ」を聴くと、そう思えてくる。 「『恋人よ』に関して言えば、日本の歌謡曲の枠におさまらない普遍的な歌です。これが言語や文化の異なる外国でも歌われている理由ではないかと思います。」 とのウイキペディアの評がそれを裏付けていると思う。
そんなところだが、五輪真弓の五輪が出身地の五輪地区名だというのは素敵な発見だ。 オリンピックよりも古い数百年の伝統を映したネーミングだから。
番組では、プロデューサー木田高介の突然の死に直面し、悲しみの中で五輪の頭に浮かんだのが「冗談だよと笑って欲しい」というフレーズだったと語っていた。 作詞も五輪だから、そのフレーズを膨らませていってあの素敵な歌詞が生まれ、同時にメロディもできたのではないだろうか。 一つのフレーズが才能を解き放つきっかけとなった例だと思う。 凡そ、創作とは、そのようなものかも知れない。
 
 
少し書き足そう。
了ちゃんは、ジャズシンガーだった。我々の同窓会でも、歌って呉れたが、まだ、その時のことを鮮明に憶えている。
昔、アメリカ映画で、確か「ニューオーリンズ」という映画だったと思うが、その中で、ジャズで故人を送るシーンがあったように記憶している。 だから、昔のジャズで、ご冥福を祈ろうと思う。
曲は、餓鬼の頃聴いたような「セントルイス・ブルース」だ。 グレン・ミラーのようなダンスミュージックではなく、ジャズ創成期の香りを残すようなジャズを選んでみた。 (2013/10/27 22:06 追記)
 
 
 
 
 
 
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