お供え
H29/7/2
石井ト
昨日は、小学校からの友人、M君の通夜だった。
総武線市川駅の駅近にある斎場でだった。18:00開場である。
私は、朝起きて、夕方にはM君の通夜に行く準備を始めたが、そこで、我が家の仏壇に供えてある菓子に目がいった。
菓子は、家内が佐賀に行ったとき買ってきた八頭司のお菓子である。具体的には「黒棒」、「逸口香」だ。
行った直ぐは、「昔羊羹」や「切羊羹」もあったが、私が食ってしまって、この二つだけが残っていたのだ。
それを見てる内、M君のことが頭に浮かび、彼との別れに際し生まれ故郷のお菓子を供えたら、彼も喜ぶのではないかと思いついた。
だが、この二つはお供えにしては軽少だ。
本当は、佐賀での葬式などではよく使われる丸ボーロが彼の葬送りには相応しい。
それで、三越本店の「菓遊庵」(諸国銘菓のコーナーの名称)に問い合わせることにした。
電話したら、丸ボーロはあいにく売り切れて、入荷は明日とのこと。
残念だが、無いなら仕方がないと、他に佐賀のお菓子は無いかと聞いたら、あいにく北島の丸ボーロだけだという。
一旦、諦めて電話を切ったが、考えてる内、「松露饅頭」が頭に浮かんだ。あれは、福岡の菓子だなんて言ってるが、元々は唐津の銘菓なのだ。
M君だってこれなら佐賀のものと思ってくれるはず。
それで、再度電話したら、12個入りのがあるとのことで、今日、4時までには入荷するとのこと。
4時なら、通夜にも間に合う時間だから、三越に寄って行けばお供えできると思い注文をした。12個入りを2箱、重ねて「お供え」としてくれと。
4時少し過ぎた頃、三越に着いた。「菓遊庵」へ行くと、
「申し訳ないが入荷が遅れていて用意できない」とのこと。
天下の三越にしてこのような失態があるとは思はなかったので、吃驚すると同時に怒りがこみ上げてきた。
「わざわざきたのに!」と恨み言を言ってみたが、「申し訳ない」の一点張り。
諦めて、ふらふらと丸ボーロの置き場を未練がましく覗きに行ったら、何と!北島のが3個並べてあったのだ。
慌てて、レジに持ち込み包みを受け取り、市川の会場へと向かった。三越からならそれほど遠くはない。
1時間ほどで、着いたら、Y君とエレベータ前で出会った。安心だ。
その所為か、式場を間違ったりしたが、そんなのは目じゃない。何とか、霊前に佐賀の銘菓を供えることが出来、M君の旅立ちに華を添えることができた、と思う。
この外にも、浩君が主唱して花輪を供えた。佐賀高等学校八期会有志と書いた花輪が目立っていた。これも良かった。
八期生も5名、慶応の同期生も3名、見えていた。奥様、3人の娘さん、孫の坊ちゃんなどのご家族、ご親族、友人知人、花、故郷の味に送られて彼は去って行った。
異郷の地ではあったが佐賀テーストを加味した葬別に満足だったと思う。
・・・笑顔が浮かんでくるようだ。
彼のことを少し思い出してみよう。
彼は、小学校5年のころ、付属小学校に転校してきた4〜5人の内の一人だ。4〜5人というのだから他に3〜4名の人がいたわけだが、小生の記憶では、
馬場、高取、無津呂、鈴木がいて、女子としては田中丸さんがいた。
・・・いや、田中丸さんは、もっと早かったな。確か小学校2年のころだったと思う。彼女は、可愛かった。私は餓鬼だったが、美人を見分ける目には自信があった。
何故なら、映画ファンだったからだ。餓鬼の頃憧れていた女優さんは、八千草薫、久我美子、モーリン・オハラ、などだから、
見る目に狂いはなかったことが分かってもらえると思う。
馬場と高取は相撲がめちゃ強かった。勧興小では相撲をレッスンしてたのではないかと思うくらいだった。
無津呂はおとなしい少年だった。足が速かったな。M君は野球が得意で、クラスの野球ではサードだったが、その流れるようなプレーには、小生、吃驚したものだ。
彼は、スポーツマンとしての適性を持っていたと思う。
附小は2クラスで、そんなに特技のある奴はいなかったので、世の中広いものだと、新発見の境地だった。
無津呂のことで、思い出したことがあるので、追記する。
それは、付属小を卒業して付属中に入学して間もなく、まだ小学生の気分が抜けきらない頃、何でだったか忘れたが、ある日、附小に何かを取りに行った。無津呂と二人でだ。
問題は、その帰り途、ちゃんと出るべき門から出て、ちゃんとした道を行けばよかったが、小生、ショートカットを思いついた。
附小と赤松小の間には跨げば容易に跳び越えられる小川とまではいかない溝があり、それをピョンと跳び越えて、赤松小の運動場を横断すれば、その先に、
佐賀城の鯱の門がある。そこを抜ければ、附中も直ぐなのだ。
小生、無津呂を促してそのルートに踏み込んだ。無津呂は、躊躇の風だったが、そんなのを忖度することなく踏み込んだ。
運動場の真ん中付近まで進んだとき、赤松生に囲まれてしまった。10人ほどもいただろうか。
小生、近くにあった竹製の棒を拾い身構えた。棒は5mほどもあっただろうか。喧嘩に使うには長すぎる長さだが、他に武器らしいものは無い。
3〜4分も睨み合っていただろうか、遠くで赤松の先生の声がして、喧嘩が停戦状態になった。こちらは正直ほっとしたが顔には出さない。
先生は囲いの中に割って入って、私と無津呂に短い説教をした。「ここは道ではない」と。・・・小生、心の中で思ったものだ。「おっしゃる通り」だと。
後で思ったが、赤松生はなんで攻めてこなかったかと不思議だった。あんなに優勢だったのに、躊躇する理由はなかったはず。そうなると、殺されることはなかっただろうが、
ボコボコにされたのは明らかだ。小生、それは覚悟していたのに少し意外な気がしたものだ。若しかしたら、5mの棒がものを言ったのかも知れない。
小生、降参だけはしたくなかった。ボコボコは覚悟だった。
無津呂は始終無言で私の後ろに身構えていた。今にして思へば彼のお蔭で攻められなかったのかも知れない。彼は既に鬼籍にあるので確認できない。懐かしい思い出である。
M君とは、引退後、また付き合いが繁くなった。
特に印象深かったのは、意外と、細かいことに気がついてくれる人だということだ。
具体的には、「あのひと」で彼が言ったことだが、「今年も、HP担当として、頑張っていただき、ありがとうございました。
気遣いと時間と、それに経費もかかっているものと思います。」と書いてくれた。・・・正直、吃驚だった。経費の心配をしてくれたのは彼が最初。
彼は、思った以上にいろいろなところまで、病気と闘いながらも気を配っていたのかな・・・と、思う。
気配り出来るとは侠気(おとこぎ)があるということ。太っ腹でないとできるものではない。・・・スポーツマンにして侠気の人、惜しい人を失くしたものである。
最後に、音楽の話を付け加えよう。彼はクラシックファンで中でもバロック音楽が好きだと言っていたが、演歌だがとて本HPに好きな曲として掲げた曲を紹介して終わりにします。
- 吉 幾三の「旅の途中で・・・」
- 岩崎 宏美の「二重唱(デュエット)」
- 岩崎 宏美の「ロマンス」
バロック音楽とどう結びつくのだろう?・・・永遠の謎を残して逝ったようだ。
それから、もう一つの謎だが、彼は、「あのひと」の中に掲載したh27年11月26日付けの浩君あてメールで次のように述懐しています。
最近、頓(にわか)に幼なかったころ、少年のころ、そして青春期のころのことが、 次々と思い浮かんで来て、涙ぐむことが多くなってきました。
福岡育ちの家内でも分からない、佐賀弁も、何の関連もなく沢山想い 浮かんできて、苦笑しています。シッペタとかサンクラガエイとか・・・
また、クラシック一辺倒だったのが、最近は、童謡や唱歌が口をついて 出てくるし、CDを買って演歌に涙ぐみ、はたまたタンゴやラテンのCDも 買いました。
青春とは、年齢のことではなく、気持ちの問題だと聞いたことがあります。
「嗚呼あのひとは あのころのままの 若き姿で 微笑んでいて 涙ぐむ アルバム」
この中の「あのひと」って誰のこと?・・・これが2つ目の謎である。
・・・向こうできかなくちゃ。
最後にもう一つ、彼のメールと「あのひと」の雰囲気に寄せて、素敵な曲にリンク張っておきます。
それはドボルザークの「ロマンス」。
この曲は、今から140年近く前に書かれたヴァイオリンと管弦楽のための単一楽章の作品。
ネットで見つけました。M君のイメージに合ってるような気がしたので、リンク張ってみました。
12分ほどの作品です。
オーケストラは、スロベニアフィルハーモニック管弦楽団です。指揮者が女性ですごく長身なのが目を引きます。
ヴァイオリンはタニア・ソンク、スロベニアのヴァイオリン奏者です。大柄だが緻密に弾いてますね。一所懸命弾かないところがいい。
実は、顔しかめて鬼の首でも獲るように熱心に弾かれるのは嫌。音楽なのだから、遊び心が大事かと思うのです。
ドボルザークと言えば、今度の20日、藝大モーニングコンサートで演じられるチェロ協奏曲を聴きに行きます。八期の有志で。
若し、お聞きになりたい方がおられたら、ご連絡ください。今のところ有志は6名です。入場料は1,000円です。
チェロ協奏曲は超有名だが、今回リンク張った「ロマンス」も、中々いい曲ですね。
もう一曲、彼女のヴァイオリンでサンサンースの「序奏とロンドカプリチオーソ」
を聴きましょう。この曲も素敵です。今ではサンサンース作曲の中で一番人気だそうです。
「ロンドカプリチオーソ」の「カプリチオーソ」はイタリア語で「奇想」。「ロンド」もイタリア語で旋回という意味。三拍子のワルツを思えばいい。
それに、昔、奇想曲という表現を聞いたことがある。だから全体で、「奇想曲風ワルツ」というような意味の音楽洋式を指すらしい。私は、歌劇の題名かと思ってました。
この演奏を見て思うことは、・・・人間、何と言ってもルックスが大事だと言うこと。
理屈では、ルックスは二の次だとは思いますが、本当は大事な要素なのでしょう。十分条件ではないが必要条件かも。
若し、ルックスは不要というなら、シンセサイザーが人間にとって代わることが出来るようになるだろう。
だが、実際、シンセサイザーが名演奏を聴かせたという話は聞いたことがない。ということは、ルックスがいかに重要かを語るものである。
・・・ま、余談はさておき、彼女のヴァイオリンと姿勢、表情、ヘヤー、なめらかな肌、コスチューム、素晴らしい!ですね。
それにヴァイオリンの音が合ってるのもいい。それもピタッと合っている。プロなら当然だというかもしれないが、ピタッと合うのは自らの持って生まれた才能の所為だろう。
小生、ヴァイオリンは弾いたことがないが、あれ、指で弦を押し音を出す楽器だ。その指で押すとき、1mmずれたら、結果の音にどれだけ影響が出るのだろう。
山勘では、1mmで恐らく32分の1音ほども違ってしまうだろう。となると、聴いていられない結果となるはず。
となると、ある音を出すのに許される指押しの位置の範囲は、0.1mm以下だろう。でも、多分、0.1mmでも、音感の鈍い奏者は、
聴いていて何となく違和感のある演奏しかできないはず。だから、奏者の出すヴァイオリンの音は奏者の音感に対する感度を敏感に反映したものであると考えられるのだ。
人間はその音や諸々のルックスを総合して良し悪しを感じるものだろう。・・・彼女は合格だと思う。
なお、パソコンで見るなら、モニターをシアターモードにして見ることをお勧めする。通常モード(デフォルトモード)では画面が小さく表示されるからだ。
シアターモードでも飽き足らない向きは、今度の20日の藝大モーニングコンサートで演じられるチェロ協奏曲を聴きに行きましょう。
こちらは、藝大の学生だから、聴いてのお楽しみ。お聞きになりたい方は小生へ連絡ください。今のところ有志は6名。入場料は1,000円です。
音楽ほど人を奮い立たせるものはないと思う。クラシックでも演歌でもジャズセッションでも。
「あのひと」で思い出したが、それと同じフレーズが出てくる歌がある。山本潤子の「卒業写真」だ。
それ聴いてM君を偲ぼう。ここをクリックしてください。
この曲、山本潤子のボーカルがいいね。もちろん、松任谷由美の詩もメロディもだ。それに編曲が秀逸!
最後に一首、
あのひとは あのひとのままで いくがいい 仮令わが身は 老いさらばはむとも
あのひとに対する小生の感慨を記してみました。
M君は幸せだったと思う。
コメントはこちらへメールして下さい。その際、文中冒頭に「HPコメント」と記して下さい。
メールはHP管理者へメールしてください。
<コメント欄> 当欄は上記のメールをコメントとして掲示するものです。
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