弔  辞

−親友直塚君に送る―

2017・2・27  君の親友の一人 谷川真雄
直塚・・君は台湾基隆で生を受け、基と名付けられる。
我々佐賀高校八期生、3年13組会のメンバー(太田、園田、谷川、鶴丸、永谷、直塚、三井所、村上、吉岡)は皆80歳前、 いつ死んでもお互い年齢に不足はないし不満もない。
しかし基、君は永年親しんだ我々に一言の断りもなく忽然とこの世を去った。
メンバー全員が、その時その時の13組会が一期一会と覚悟していたとはいえ、 再開を楽しみにしていた来る3月10日の13組会を目前にしてだ・・もう少し待てなかったのか。 君が1月25日の三井所の開催案内メールに「喜んで参加、楽しみ」と返信していたのが生々しく辛さが募る。 余りにも水臭いじゃないか、余りにもけしからんじゃないか。
24日夜、三井所からの電話で知った。「本当か!」とかいえず後は声を失った。
まさに青天の霹靂、無念、悲痛の思いが胸を塞ぐ。
10数年前から旧交を温めるため略3か月毎に開催してきた13組会は佐賀在住の村上、宮崎在住の園田を入れると9人だが、 東京に常時集うのは7人、今や年寄りの集まり。ご他聞に漏れず、話題の中心は老化現象と病。勢い、いつの日か一人一人欠けていくだろう。 誰が最後に残るだろうかとなり、そしてそれは生にしぶとい直塚君だろうというのが大方の思いだった。
遡って、君が会社に入って間もなく交通事故・・タクシーに乗っていて踏切での電車との衝突事故と記憶している。 ・・その時私もたまたま千葉にいて、その報を聞いて病院に駆け付けた。その時君は意識がなかったと思うが、 お袋さんがベッドの横に付き添われていて、こういわれた。 「もうだめかと覚悟して(佐賀から)来ました」しかし君は瀕死の状態から不死鳥の如く蘇った。
そして、数年前九大でヨットマンだった君は友人とヨットハーバーを操り沖縄からの復路、船上で脳梗塞で倒れた。 後で聞いた話だが倒れる直前お袋さんを見たという。たぶんお袋さんが未だ早いと思われたのだろう。 その時も粘り強い懸命なリハビリで後遺症をも乗り越え見事に蘇った。君は2度にわたる生命の危機をしぶとく乗り越えてきた。 そのしぶとさを皆買っていたのだ。
昨年11月の13組会、久しぶりに園田も参加していた。この時君がゴルフを1ラウンドフルに回れた。 スコアもそこそこと嬉しそうに語っていた。会の帰りは何時も総武線船橋まで一緒、船橋で握手して別れる。もう二度とそうした日は来ない。
佐賀高校1年から知り合い、住まいが同じ神崎ということで三井所ともども特に親しくなった。 高校時代から単車に乗って、水田に囲まれた小部落にある我が家まで良く会いに来てくれた。 九大時代ヨットに熱中していた時も帰省した時は、必ず我が家を訪ね浪人の不遇を託っていた私を励ましてくれた。
九大といえば、その当時難関の九大同格者はラジオで合格者が発表された。 聞き入っていると佐賀高校直塚と君の名が読み上げられ語弊があるがビックリすると同時にわがことのように非常に嬉しく思った。後で君は言った。 「俺は付いている。試験の前日復習の為目を通していたところと略同じ問題が出てきたんだ」その科目は忘れたが、 何事にも強運の君だった。思い起こせば思い出は尽きない。涼やかで冷笑気味、苦笑気味のその表情が瞼に浮かぶ。
東京で13組会を開催しだした以降今日まで、私の事を気にかけ谷津のバラ園、 湿地その他時には奥さん共々千葉の観光案内等いろいろ世話を焼いてくれた。 数度の危機を乗り越えしぶとく生き抜いてきた君がかくもあっさりとこの世を去るとは本当に思いもよらないこと。
今年の年賀状に柄にもなく、こうあった「今年からは老人らしく穏やかにすごせたらと思っておりますが・・・」穏やかのなりすぎた。
今は只君の冥福を祈るのみ。
我々も老い先短い。いづれ又会うことになる、積る話もあるだろう。その時天上で第2次13組会を持ってまた語り合おう。
一先ず今日この世での惜別の辞を送る。
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